深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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モンテーニュ『エセー(4)』
エセー〈4〉 (ワイド版 岩波文庫)エセー〈4〉 (ワイド版 岩波文庫)
(2002/07/16)
ミシェル・エイクム・ド モンテーニュ

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 普通一般の義務を逃れる人々、実直な人間を市民生活においてしばっている無数のいろんなつらい規則を逃れる人々は、私から見れば、いかに特別な苦行をわが身に課しているとしても、とんだ骨惜しみするものだと思う。それはある意味では、よく生きる労苦を避けようとして死ぬことである。こういう人々は別の褒美を得ることはできても、困難の褒美を得たとはけっして言えないと思う。いや、難しさの点では、自分の義務をあらゆる面で忠実に履行しながら、この世界の荒波の押し寄せるなかに、しっかりと立っていることにまさることはないと思う。おそらくぜんぜん女なしですますほうが、自分の妻と一緒にいてすべての点で立派に振舞うことよりも容易であるし、貧乏にしているほうが、富裕のなかで節度を守るよりも、ずっと気苦労がなくてのんきである。理性に従った享楽は禁欲よりもつらい。あるのを節制するほうが、ないのを我慢するよりもずっとつらい徳である。小スキピオの正しい生き方にはたくさんの方法があった。ディオゲネスの正しい生き方には一つの方法しかなかった。後者の生活は純潔という点では普通の生き方をはるかにしのいでいるだが、稀有な、完全な人々の生活は、有用さと力強さの点で、同じくらいはるかにディオゲネスの生活をしのいでいる。

モンテーニュ『エセー(4)』


 岩波文庫版「エセー」四分冊目読了。退屈まぎれに思考の推移を追うために書き続けられた「エセー」も、この巻で三巻本の二巻まで進んだことになる。

 三分冊目は、異色の「レーモン・スボンの弁護」に丸々費やされたが、モンテーニュの筆はまた短い論考を連ねるいつもののスタイルに戻っていく。

 他人の評価を気にせず、自らにとって大事かどうかを問うモンテーニュの姿勢はこの巻でも一貫していて、その個人主義的な考えに惹かれる。

 古臭いところも少なくないし、体系だってもいないけれど、度を過ごさない語り口も魅力的。
 この巻で一番おもしろかったのは「スブリナの話」という章。上に引用したところもそこから。

 肉欲も野心といった精神的な欲望には負けるということを、色男カエサルのこの二種類の欲望を示すエピソードを交えて語っていく。

 しかし話はそれだけにとどまらず、美男子に生まれながらちやほやされることを嫌い、自らの顔をめちゃくちゃにしてしまったスブリナという男に話題は移る。

 しかし自らの欲望を抑えたこの人物も賞賛の対象ではないとし、引用部へと続く。そのままで節制した生活を送るべきだったのだと。

「自分の義務をあらゆる面で忠実に履行しながら、この世界の荒波の押し寄せるなかに、しっかりと立っていること」という言葉には肺腑をえぐられた。

 責任を負いたくないからと初めからなしで済ますのは安易な行き方なのだろう。私自身そういった傾向は少なからずあるはずで耳に痛かった。

 時々思い出してはかみしめたい言葉。

他の記事はこちら。
モンテーニュ『エセー(1)』
モンテーニュ『エセー(2)』
モンテーニュ『エセー(3)』
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