深海魚の水槽
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モンテーニュ『エセー(3)』
エセー〈3〉 (ワイド版 岩波文庫)エセー〈3〉 (ワイド版 岩波文庫)
(2002/07/16)
ミシェル・エイクム・ド モンテーニュ

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 この思想は、私が天秤の銘につけたように、「私は何を知ろうか」という疑問のかたちで表せばいっそうはっきりする。

モンテーニュ『エセー(3)』


岩波文庫版の「エセー」三巻目読了。ようやく折り返し。

 一、二巻は断章形式をとっていたのに対し、この巻は「レーモン・スボンの弁護」という論考に一巻が費やされている。

 レーモン・スボンは15世紀スペインの神学者で、理性に基づく信仰を説いたらしく、モンテーニュ自身がその著作の翻訳も行ったらしい。

 白水社のクセジュ文庫の由来となっている「私は何を知っているのか?」という上に引用した一句が有名。「この思想」というのはピュロンという懐疑主義の哲学者の流れを汲む思想のこと。

 人間の考え出した学説の中でこれほど真実らしさと有用さをもつものはない。この学説は人間を、赤裸で空虚なもの、おのれの弱さを認め、天井からの何かの外来の力を受けるにふさわしいもの、人間的な知恵を去ってそれだけ神の知恵を宿すにふさわしいもの、自分の判断を捨ててそれだけ多く信仰に席を譲ろうとするもの、不信心でもなく、一般の慣習に反するどんな説も立てず、謙虚で、従順で、素直で、熱心なもの、したがって、誤った宗派によって持ち込まれたむなしい、不敬な教説に煩わされないもの、として描いている。これこそ神の指の思召しのままにどんな形でも刻み込まれようと待っている白紙である。われわれは神におすがりしてお任せすればするほど、自分を捨てれば捨てるほど、それだけ立派になる。

モンテーニュ『エセー(3)』


 本論のほうは便宜的にだろうか、3つに区切られている。

 最初にモンテーニュは人間を万物の上におくような特別扱いを戒める。そして動物たちが理性を持っているかのように振舞った事例を列挙する。

 そして次に、神の摂理に従うべきなのに、人間はその知を誇り神を自分に従わせようとする傲慢を指摘する。そして人間の知の限界を説き、素朴な生活を営む人間たちのほうがよいという。

 そして最後に人間の思考がいかにその場の気分や体調によって影響されるかを述べ、その一貫性のなさを訴える。


 動物がいかに合理的に振舞うことがあっても、モンテーニュのように動物が理性を持つという考えは今は否定されるだろう。しかしその背後にある、人間が自分たちを他の動物よりも上だと考えるのを否定しているのには共感できる。

 この巻はおもしろいなと思う部分も多かったけれど、あんまりうまく理解できていないのが正直なところ。

 熱狂ではなく理性による信仰を擁護している一方で、人間の知の限界を説き神に身を委ねるという考えがもう一つしっくりこないのがその原因かもしれない。

 このあたりは自分自身の神学的な考え方に対する理解がもう一つなんだろうなと思った。

他の記事はこちら。
モンテーニュ『エセー(1)』
モンテーニュ『エセー(2)』
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