深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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小野善康『不況のメカニズム』
不況のメカニズム―ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ (中公新書)不況のメカニズム―ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ (中公新書)
(2007/04)
小野 善康

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 市場原理の誤解は、結果の平等では活力を失って効率が下がるから、機会の平等を推進すべきだという構造改革派の主張においても見られる。そこで言う機会の平等とは、競争に負ければ倒産して働く機会を失うという自体も含めて、言われている。しかし、本当に効率を追求するために機会平等を主張するなら、その前にまず働きたい者には働く場が必ず与えられる状況を作らねばならない。
 成功している個人や企業が、倒産や失業も含めた意味での機会平等を支持する本当の理由は、経済全体の効率化ではなく、単にそれが自分たちにとって都合がいいからである。ライバル企業が減れば、生き残った企業にとっては都合がよい。個人にとってもライバルが減れば、競争も軽減できるし職場も確保できる。彼らの言う効率化とは成功者だけにとっての効率化であり、日本経済全体の効率化ではない。そもそも働かない者を増やす政策によって、経済全体の効率化を実現できるはずがない。

小野善康『不況のメカニズム』


 本書はケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」を読み解きながら、不況のメカニズムの解明に取り組み、平成不況を考えていくもの。

 ケインズは需要不足が不況を起こすと考えた。しかし需要不足が存在するかの議論はまだ決着していない。著者はその原因を「一般理論」が難解でケインズの議論自体も混乱しているからであるとし、その問題点を克服しようと試みている。

 需要不足が不況を引き起こすというのは直感的にはわかるとはいえ、かなり専門的な経済学の本で、昔に経済学の入門書を少し読んだ程度の私には難解でした。
 ケインズは所得の一部が消費に回されるという消費関数を仮定し、残りは投資に使われなければならないと考えた。景気が後退すると投資を促すために利子率が下げられるが、ある程度利子が下がると人々は貨幣で持っていたほうがいいと感じる流動性の罠という状態に陥る。

 すると貨幣の動きが止まり利子が下がらなくなり投資不足が起こって需要不足が生じると考えた。

 これに対し新古典派経済学では、消費が減退し物価が下がれば消費は回復すると考える。故に、ケインズの考えは物価等の調整が働かない短期的な状況にのみ通用し、長期的には完全雇用が達成されるといった形で新古典派に吸収された。

 しかしケインズの考えは需要の量が決まりそれに応じた供給分が決まるという新古典派の考えとは正反対であった。

 では何故ケインズが需要不足の原因をうまく説明できなかったのか。著者はそれを単純な消費関数の導入に求める。いつでも自由に使える貨幣を保有しておきたいという流動性選好は投資資金を吸収するだけでなく、消費をも吸収するのだと。

 そこで著者は消費対象の物価上昇率と現在の消費を我慢することによる不効用分である時間選好率を足したものを消費の利子率とする概念を導入する。この利子率と貨幣を保有していることによって得られる効用である流動性プレミアムとを比較して有利なほうを選んで消費が決まると著者は考え、消費関数を退ける。

 ある程度成熟した社会では、投資や消費の限界的な効果が小さくなってくる。ここで経済の先行きに不安が発生すると、いつでも使える貨幣で持っていたほうがいいと流動性プレミアムが高くなり、需要不足が発生するのである。


 このように需要不足による非自発的な失業が発生しているのであれば、財政出動によってその無駄になっている労働資源を使ったほうが効率がいいというのが著者の考えである。

 ただし一般にいわれているような消費の乗数効果は否定されている。公共事業は消費に対して中立的な効果しかないという。

 ここが少し難しかったのだが、公共事業で増えた消費は税金などのマイナス分で減少してしまう。つまり公共事業には分配的な意味しかないと。それを消費が消費を呼ぶという乗数効果を盾に財政出動を正当化しても非現実的だと否定されてしまうし、単なるバラ撒きに終わってしまう結果になってしまう。

 そうではなく無駄になっている労働資源を使って公共事業をするならば、その事業がたとえ赤字でも、少しは有意義であればそのほうが効率的であるからやるべきだとという理由で行われる必要があると言いたいのだと思う。

 それに付随して、消費性向の低い層から高い層への所得移転効果や失業の減少による物価や賃金の減少を食い止める効果があるとはいっている。

 しかし、それは失業者全員に職を与えるような大規模なものでなければ効果は薄く、景気の回復には経済の回復を確信する世代の登場まで待たねばならないと著者はいう。


 上に引用したが、誰も彼も自分の利益分配のことを考えてばかりで効率のことなんて本当は考えていないんだ、と喝破している部分は思わず笑ってしまった。

 ただここで疑問なのは、経済全体としては公共事業をしたほうが効率的だと説得しても、その費用を負担する層は何故全体のために自分たちが不利益を被らなければならないのだと拒否されるんじゃないか。著者がいうように景気回復には次の世代の登場を待たねばならず、公共事業がもたらす効果も景気を回復するまでに至らないのであれば、その費用負担に消極的になってしまうんじゃないだろうか。

 もうひとつ気にかかるのは、バブルを経験していない三十代以下の世代が経済の中核を担うにつれて日本経済は自信を取り戻して回復期に入ると著者は書いている。しかし放言になるけれど、その世代は就職氷河期を経験し、いつ社会から放り出されるかわからないという不確実性を経験しているから、あまり消費を謳歌しようとは思わないんじゃないかな。人口の減少や年金を含めた社会保障費の増大といった問題もあまり好材料には思えない。
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