深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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片田敏孝『人が死なない防災』
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片田 敏孝

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 東日本大震災も、まさしく、そのような状況の中で起こったわけです。
 大きな防潮堤ができたことによって、田老では逃げなかった住民がいた。釜石でも、ここは安心できる地だと思った住民がいた。そして逃げなかった。そこに、想定を超える津波が来たのです。そして何が起こったかは、皆さんがご存知のとおりです。膨大な人命が失われてしまいました。
 私が言いたいのは、こういうことです。
 田老や釜石など東日本大震災で被災した地域は、「想定外」だったから被害を受けたわけではありません。また、「想定が甘かった」わけでもありません。そうではなくて、「想定にとらわれすぎた」のです。
 東日本大震災によって顕在化したのは、防災というものがはらむ裏側の問題です。それは、防災が進むことによって、社会と人間の脆弱性が増し、住民を「災害過保護」ともいうべき状態にしてしまうという問題にほかなりません。

片田敏孝『人が死なない防災』


 東日本大震災で津波に襲われた岩手県釜石市。釜石市の小学校、中学校は沿岸にあったものの、生徒たちは率先して避難し、ほぼ全員が津波の難を逃れたという。このことは「釜石の奇跡」として称えられた。

 その背景には、震災の8年前から取り組まれていた防災教育がある。著者はその必要性を説き、実際に講師として足繁く釜石に通い、児童の指導に当たった。

 先日、NHKラジオの文化講演会で「想定外を生き抜く力~釜石市津波防災教育に学ぶ~」というテーマで話されているのを聴き、興味を持ってこの本を読んでみることにした。
 日本で生活する上で、命の危険を意識する自体はそうそうはない。安全な国だといえる。各自治体は過去の災害を教訓に災害時の被害を想定し、ハザードマップを作成し、堤防を作ったり護岸工事を行って、被害を防ぐよう努めている。実際に釜石では高さ10mの堤防が整備されていた。

 しかし守られていることが逆に人々の防災意識を奪ってしまっているという。堤防があるから避難する必要はない、ハザードマップの被害想定区域から外れているから安心だ。

 身の危険の判断を行政に委ねている。そこに想定外の事態が起こったら、なすすべもない。今回の震災でもハザードマップの想定域の境界において犠牲者が出ているという事実には慄然とする。


 災害は起こるか起こらないかではない。いつかは必ず起こるものだと著者はいう。だからといって100年に一度、1000年に一度の大災害に完璧に備えるにはコストが大きすぎる。

 絶対に安全というのはありえない。にもかかわらず人は災害を、死を直視することは好まない。そのことが避難を困難にする。

 著者はこういった状況を前に、避難の三原則としてまとめ教育を行っている。「想定にとらわれるな、どんな状況でも最善を尽くせ、率先避難者たれ」と。

 このことを実践して、声を掛け合い避難する当日の釜石の子どもたちの姿は生々しい。子どもたちの生の声をもって語られるルポは臨場感にあふれ、知らずと涙が出てくる。

 情報がなく混乱する現場で逃げ出すことは勇気がいる。しかし一人が逃げ出せば空気が変わる。「津波てんでんこ」という先人の知恵が報道された。「津波が起きたらてんでばらばらに逃げろ」という意味だ。

 一見すると、仲間を見捨てて逃げろというのは利己的で非情な教えに見える。しかし著者はこの本当の意味は、お互いが率先して避難することを信じるということだという。そういった信頼があれば、仲間を心配し危地に飛び込むのではなく、自身が生き残ることに最善を尽くすことができるようになる。


 阪神・淡路大震災の後、被災者を支援する法律ができた。様々なボランティア活動が起こった。しかしそれは災害を生き残った人々を援助するものだ。

 生き残ることができなければ、支援を受けることはできない。災害が起こった際に、生き残るために人々が主体的に判断し、率先して行動するような防災意識を醸成する「死なない防災」が行われているか。そのことに著者は警鐘を鳴らす。

 私たちが生きている間に、逃げることが必要になる事態に遭遇することはそれほど多くない。避難したからといって必ず被害に遭うわけでもない。

 それでも本当の危険に遭遇したときに、「しまった」と思うのか「やっぱり逃げてよかった」と思うのか、そのときの行動で決定的に分かれてしまう。それほど多くないのであれば逃げるべきなのではないかという。


 個々の状況に対してこうすればいいとか、どうやって対処すればいいというようなハウツー的な内容はではない。しかし私たちが日々安穏として暮らし、判断を他人に委ねているかを思い知らされる。

「災害ごとき」で死なないために、個人個人で考えていく必要性を強く感じさせられた。
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