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それから犬がいる。椅子の足もとで、二匹の茶色い犬がごろんと横になったまま身動きひとつしない。生きているのか死んでいるのか、まったくみわけがつかない。これはスペッチェス島に限らず、全ギリシャで日常的に見受けられる現象である。僕はこれを「死に犬現象」と呼んでいるのだが、とにかくギリシャの犬は暑い午後にはみんなこんな風に、ぐったりと石のごとく眠るのである。もう本当に文字どおり、びくりとも動かない。息すらしていない。(ように見える)。ギリシャ人にとってさえこのような「横たわり犬」の生死のほどを見分けるのは至難のわざであるらしく、何人かのギリシャ人が横たわり犬のまわりを取り囲んで、犬が生きているか死んでいるかについて額に皺をよせて真剣に討論している光景を何度か見掛けた。棒か何かでつついてみればすぐにわかると思うのだけれど犬を起こすのが可哀そうだと思うのか、それとも噛みつかれるのが怖いのか、そういうことをする人はいない。ただじっと見て、これは生きてるだの、いや死んでいるだのと言い合っているだけである。犬も暇だけれど、人間の方も相当に暇である。
村上春樹『遠い太鼓』
「英語で読む村上春樹」の前から、NHKラジオでは村上春樹の特集を組んで相当に力を入れていた。去年の正月には、「かえる君、東京を救う」他の短編の朗読があり、今年の春には「遠い太鼓」のギリシャに関する部分の朗読番組が放送されていた。
「かえる君、東京を救う」は、今年の後半英語で読むことになっているので後回しにして、今回は録音しておいた「遠い太鼓」の朗読を聴いてみることにした。
このエッセイは、1986年から約3年間、ローマ・ギリシャを中心にヨーロッパへ長期滞在していたときの旅行記。この間、「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」を書き上げたとのことで、そのときの事情がわかる。
けれども発音は明瞭で、一度ですんなりと頭に入ってくる聴きやすいもので、全36回と比較的長いのも苦にならなかった。そもそも村上春樹の気取った、どこかくたびれた「やれやれ」という文体が鼻につかなかったのも、この朗読のおかげかもしれない。
そんなわけで、この旅行記はとても楽しめた。シーズンオフのギリシャに生きる人々の表向きでない素顔が見えるような部分が好きだ。明らかに違う生活のテンポ、かみ合わない会話。一方で、のんびりとしたギリシャ人が道端で知り合いと出会ったときは命を懸けたような挨拶の応酬をするといったところもおかしい。
またギリシャで嵐に遭い、あまりの雷のすさまじさにゼウスを体感するというところも印象的だった。そういったものと日々格闘することは消耗するだろうけれど、日本にいる私にはなかなか味わえない。触れてみたり体験してみてはじめてわかることだろう。
取り澄ました顔で繰り出すユーモアも素直に響いて噴き出してしまうこともたびたびあった。しかし対照的に、「ミコノス撤退」や、これは朗読ではない部分だが、「1988年、空白の年」といった思いっきりセンチメンタルな部分もあって、これもやっぱりいいなと思うのだった。
朗読が楽しめたので、文庫で他の部分も読んでみた。ギリシャ編にあたるのは全体の半分ほどで、もう半分がイタリア、ロンドン、ヘルシンキ、オーストリアなどの各地が少々といった感じ。イタリアというのも、ギリシャとは違った意味で、とんでもない国だなと思う。
気づけば文庫本で500ページを越える大部もそれほど苦にならなかった。『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック 』も割と好きなので、エッセイのほうが性に合っているのかも。文章になるとやっぱり村上春樹ぽさにため息をついてしまうのですが。
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