深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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相馬黒光『相馬黒光の広瀬川』
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相馬 黒光

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 家で養蚕をしたり製茶を始めた頃は、父は県庁の小役人を辞めて地方の何とかいう会社に勤めていて留守がちであったから、自然、母一人で先に立ち、雇い人や作男を連れて遠く離れた茶園まで出張し、万事を切り盛りする。自然、一家の全権を握る女主人のように人は母に服し、たまに父が帰っていても父には訊かないで母の指図を求めそれに従うという風で、父は手の出しようもなかったのです。主人でいながら、ちょうど泊り客のような体裁で、自分の用を足してしまえば手持ち無沙汰ですぐにも勤め先へ戻るばかり。何もしないと決めてしまったら、祖父母への土産一つ買って帰る気もつかなかった父でした。「子供たちにはいいとしておじいさまやおばあさまには何か買ってきていただかなければね、あなた」と恨み顔にいった母を思い出します。弟の文四郎の小さい時分、「母ちゃん。お父ちゃんはいつから居候にきたのですか?」と尋ねて皆をあきれさせ、家中顔を見合わせて笑う中に、母は泣いているのか黙って顔を背けました。

相馬黒光『相馬黒光の広瀬川 第2回』より


 年末年始はいつも聴いているラジオ番組も特別編成で休みになるので、NHKラジオの朗読「海賊とよばれた男」を楽しみにしていた。ところが第3回の放送の録音に失敗してしまって当てが外れてしまった。

 そこでたまっている朗読の録音から短いものを聴こうと思って、選んだのがこの「相馬黒光の広瀬川」。去年こちらも同じNHKラジオで放送していた作家の森まゆみの「女のきっぷ」で取り上げられていたことを思い出したからだ。

「切符」を連想してしまって何か物語が始まりそうなタイトルに感じたけれど、ここでは「気風のいい」の「きっぷ」。明治から昭和にかけて活躍した女性の生涯を紹介する番組だった。
 それまでは相馬黒光という人物については何も知らなかったが、新宿中村屋という今でも幅広く事業を展開する食品メーカーの創業者だという。

 当時の知識階級としては珍しくパン屋という実業に乗り出し、クリームパンを考案したという。だけでなく、新宿中村屋は荻原碌山や松井須磨子など文学、絵画会の著名人が集うサロンとして名をはせたとのこと。またインドの独立運動家ラス・ビハリ・ボースをかくまい、長女をボースに嫁がせてもいる。

 黒光という耳慣れない号は、「溢れる才気を少し黒で隠しなさい」という恩師からの教えがあったとのこと。そういう点からも、「サロンの女主人」というとどうしても海千山千の妖しげな人物を想像してしまう。


 ところが、この「相馬黒光の広瀬川」は、明治維新後の仙台で過ごした少女時代を回想したもので、随分と印象が変った。

 仙台藩の重臣の家に生まれた黒光が、明治維新で没落し、生活に苦しむ武士階級の姿がまだ物を知らない少女の視線で切り取られている。

 その観察がすばらしいだけでなく、それを振り返っている後の黒光が、祖父母や父、そして母に注ぐ視線が哀惜の情に満ちている。素朴で率直な語りに郷愁が誘われるとともに、著者の人柄がしのばれる。

 家に出入りする老婆に着物などを売って体面を守りながら生活費を得たり、それもなくなると黒光自身が訳もわからないまま質屋に行かされたり、当時の武士階級がどのように糊口をしのいでいたかという涙ぐましい姿も見られ興味深い。

 明治以後の日本にこのような女性がいたんだと意外な思いがした。この朗読の出典が仙台時代の回想記だという「広瀬川の畔」なのか、はたまた他の作品なのかはわからない。機会が著作にも当たってみたいと思う。


 なお上の引用は音声から起こしたものなので、異同があるかと思います。
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