深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
山本周五郎『天地静大』
天地静大 上巻 (新潮文庫 や 2-68)天地静大 上巻 (新潮文庫 や 2-68)
山本 周五郎

新潮社
売り上げランキング : 688956

Amazonで詳しく見る

天地静大 下巻 (新潮文庫 や 2-69)天地静大 下巻 (新潮文庫 や 2-69)
山本 周五郎

新潮社
売り上げランキング : 681172

Amazonで詳しく見る by AZlink

 人間にはそれぞれの性格があるし、見るところも考えかたもみんな違っている。一人ひとりが、各自の人生を持っているし、当人にとっては自分の価値判断がなにより正しい。善悪の区別は集団生活の約束から生れたもので、「人間」そのものをつきつめて考えれば、そういう区別は存在しない。人間の生きている、ということが「善」であるし、その為すこともすべて「善」なのだ。
「なにをするかは問題ではない。人間が本心からすることは、善悪の約束に反しているようにみえることでも、結局は善をあらわすことになる」

山本周五郎『天地静大』


『ただいま浪人』の他にもう一冊、伯母さんが貸してくれた本があった。よい機会なので、こちらも読んでみることにした。

『男の作法』でも書いたように、私は学生の頃、歴史小説というと司馬遼太郎ばかり読んでいて、他には吉川英治を時々読む程度だった。

 それでもさすがに山本周五郎は『赤ひげ診療譚』と『樅の木は残った』だけは読んだことがある。特に『樅の木は残った』は強烈な印象を与えてくれた。しかし、やはりアンチヒーロー的な作風は地味で、他のジャンルへ関心が移っていったこともあって、それきりになってしまった。というわけで、久しぶりの周五郎作品。
 この『天地静大』は、作者の数少ない幕末を舞台にした作品だという。東北の中邑藩に仕える杉浦透を通して、藩主の弟で急進派の若者に旗頭として目される水谷郷臣という男の生涯を描いたもの。

 幕末を描いた作品とはいうものの、出てくる大物といえば橋本佐内ぐらいのもの。期間も安政の地震から安政の大獄が始まったばかりとごくごく短く、幕末の動乱もこれからといったところで終わってしまう。

 しかも主要人物の水谷郷臣は周囲にその才能を期待されながら、煮え切らない態度を取り続け、結局何もしないまま抹殺されてしまう。その姿が杉浦透をはじめとする同藩の若者たちの動向とともに描かれる。

 だから幕末の志士たちの物語と思って読み出すと、肩透かしを食う。この人を食ったストーリーは、いかにも山本周五郎らしい。

 激動する時代の中では、誰もが不安に駆られる。こんなに小さな藩ですら、若者たちはじっとしていることができず、藩を二分する対立の中へ身を投じ、歴史の渦に呑み込まれていく。

 作者はそんな不安と向き合おうとせず、流されるままに命を落としていく人間たちの姿をいささか冷ややかに見つめている。

 郷臣という人物は何もしないまま始末される。そこがもどかしいのだが、結局それは好いた女と一緒になれなかった恨みをずっと引きずっていのだとわかる。最初はミステリアスに描かれる姿がどんどんと情けないものになっていってしまうのだ。

 一方、主人公の杉浦透がまた異なる生き方を選ぶ。何かしなければという焦燥に駆られながら、地道に学問に打ち込むことにする。時代に翻弄される若者たちの姿とが鮮やかに対照される。


 激動する幕末という時代には、きっとここに描かれた中邑藩のように歴史に名を残すこともなく消え去っていった人々が大勢いたのだろう。そしてそれは今も変わらない。

 天地が変わらずあるのに比べれば、人間の営みなどちっぽけなものだ。それでも時代に流されて生きるのと、時代が変わっても変わらない何かを見つけて守っていくのとでは大きく違う。

 妻のふくとともに故郷へ帰る透の姿を描いたエピローグは、著者の思いが直に伝わってくる。天真爛漫なふくの姿を見ていると、不覚にも涙が止まらなくなってしまった。

 大きな盛り上がりもない長い小説だけれど、読んでよかった。貸してくれた伯母さんに感謝したい。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://deepseafishtank.blog123.fc2.com/tb.php/372-182b2dfa
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。