![]() | 優生学と人間社会―生命科学の世紀はどこへ向かうのか (講談社現代新書) (2000/07) 米本 昌平、ぬで島 次郎 他 商品詳細を見る |
ヒトラー出現以降の世界に住むわれわれは、人間の価値や反社会的行動の原因を生物学の次元へ還元してしまうことの危険をよく知っており、事実そのような警句は繰り返し発せられてきた。ここでもう一度整理しておくと、その危険とは、IQの遺伝子や、犯罪傾向の遺伝因子や、反社会的あるいは暴力的な遺伝子という、生物学のレベルとは対応関係のない、その意味でありもしない遺伝子を想定したり、人間の社会的行動を説明付けしようとする生物学概念へ人間解釈を還元してしまったりすることである。それは、人間解釈の浅薄さ以外の何ものでもなく、このような言説に対しては感度を鋭くして、ていねいに批判しつづけていかなくてはならない。
米本昌平ら『優生学と人間社会』
優生学の歴史を振り返りながら生命倫理の問題に取り組んだ本書。優生学と聞くとすでに過去の遺物といったイメージがあったけれど、そうではないことがわかる。
考えてみれば「よい子を産みたい」というのはどの親も願うことだろうし、どの国家も「優秀な国民が多いほうがいい」という思惑を持っているだろう。
現代は羊水検査や受精卵診断などが可能になり、急速に進展する分子生物学が様々な生命操作の可能性を突きつけている。
こういった問題を前に、広く行き渡っている「優生学=ナチス=悪」という図式が、生命操作をタブー化し、議論することさえままならない状況を許していて本当によいのだろうか。こういった問題意識から著者らは優生学の歴史を振り返ることを試みている。
進化論の登場はキリスト教の倫理観をゆるがし、自然科学が替わりに倫理や規範を示すことが期待された。進化論は遺伝学への関心を呼び起こし、環境の影響を軽視する姿勢も生み出した。
こういった考えは実用を重視するアメリカに強く影響を与え、精神病患者の生殖能力を奪う断種法を制定する州が増えていった。
また移民の知能を測定するIQテストの登場は、移民に対する偏見を生み、移民の絶対数が制限された。
一方、北欧諸国でも優勢政策とは無縁ではなく、障害者への手厚い保護や社会的コストの抑制を目的に断種法が制定された。福祉国家は優勢政策と親和性があったのである。
そしてドイツや日本では、戦争によって生存すべき屈強な若者こそ死んでしまったという逆淘汰という考えから優生政策が叫ばれた。1996年まで日本には優生保護法が存在したというのは全く知らなかった。
こういった政策の反省から、先進国では女性に産む・産まないの決定を委ねる「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」という考え方が受け入れられるようになっている。
しかし自己決定に対しては無言の圧力や啓蒙と称する働きかけが行われることもある。医者の説明の仕方も親の決定に強く影響を及ぼすといった問題が生じている。
社会的コストを抑えたいと考えるのはわかるけれども、個人的には他人の幸せや生きる資格に口を挟むことができるという考えになじめない。著者らが述べるように、技術や倫理について正確な情報を提供し、当事者の決定に委ねていく環境を整える必要があるのだと思う。
少し無味乾燥に思える記述が続く部分もあるけれど、今日的な問題を提起しているよい本だと思います。
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