深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』
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シモーヌ・ヴェイユ,冨原 眞弓

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 真の自由を規定するのは、願望と充足の関係ではなく、思考と行為の関係である。はたす行為のいっさいが、めざす目的と目的達成にみあう手段の連鎖とにかかわる先行判断から生ずるとき、その行為者は完全に自由だろう。行為じたいの難易のほどは重要ではない。成功で飾られるかどうか否かさえ重要ではない。苦痛と失敗は行為者を不幸にすることはできても、行為の機能をみずから掌握している行為者をはずかしめることはできない。

シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』


つい最近、ヴェイユの『根をもつこと』に挑戦してみたことを書いた(『根をもつこと 上巻』『根をもつこと 下巻』)。難解でうまく消化できていないものの、ヴェイユの高潔な人柄には強く惹かれるものがあった。

 そこで『根をもつこと』の理解の助けになるかもしれないと思い、もうひとつの主著といわれる、この『自由と社会的抑圧』を読んでみることにした。

 この短い論考は、1934年、ヴェイユが25歳のときもので、20世紀の人々が希望を託した「革命」というものの内実を問い、人間が抑圧から解放されうるのか、真の自由とは何かということを考察していくもの。
 全体としては150ページ足らずの短いもので、4章から構成されている。目次は次のとおり。「序」「マルクス主義の批判」「抑圧の分析」「自由な社会の理論的基礎」「現代社会の素描」「結」。


 国粋主義的な政権の誕生や労働の意味の喪失、未来への絶望などによって、現代は生きる意味が消滅してしまっている。その中で、「革命」という言葉に人々は希望を託し、運動を続けている。ヴェイユはその革命というものが、果たして中身のあるものなのかと問い始める。

 ヴェイユは現代社会がそもそも抑圧的構造を内包しているのに、現代社会の延長線上に人間の解放と平等な社会の実現を夢見ていると批判する。

 それはひとえに生産性の果てなき向上を前提にしている。ゆえに生産性向上という名目で社会主義の国においても抑圧は維持された。

 科学技術の進展、労働の合理化、自動化の技術の登場などを挙げながら、それらが壁にぶつかっている、もしくは頭打ちになる可能性が多分にあること
を指摘し、ヴェイユはこの前提をしりぞける。

 革命が夢物語にすぎないとしても、しかし、社会が本質的にもつ強制と従属側が心身ともに粉砕されるような抑圧を区別し、対策を立てることはできるのではないか。そのためには抑圧のメカニズムを分析する必要がある。

 ある程度社会が大きくなると必然的に平等が崩れ、指導的な立場の人間が現れる。この権力者は自らの地位を守り競合者に対抗するために、その内部への抑圧を強める。それを維持するためにさらに外部へ向かう、といった連鎖が始まってしまう。競合者を殲滅しなければ永続的な権力は得られない。しかし競合者がいなくなれば権力を維持することが難しくなる。

 権力の放棄は別の支配を生む。ために、際限のない権力の追求、拡大へと向かわざるを得ない。ところが権力の際限ない拡大は不可能である。

 このように人間の営みに抑圧が必然的に伴うならば、自由はどうして可能なのか。

 ヴェイユは重圧からの解放を自由とは見なさない 。外的な制約が存在するなかで、自らの思考と肉体をフルに使って目的へ向かって挑む姿に真の自由が存在するのだとする。

 ところが現代は方法的思考をはたらかせる領域がどんどん少なくなっている。発展した科学は全体を把握することの難しい巨大なものとなり、思考の道具とするよりも、そこで業績をあげることに汲々とする。

 大規模で大量生産の進んだ工場で行われる労働は個人の成果が形となって見ることを減らし、機械化は人間の解放を意味せず、むしろ人間を機械に従属させている。

 自由な思考を促すようにしてささやかな抵抗をすることはできても、こういった流れは、坂道を転げ落ちる車輪のように、もはや制御できないのではないかとされている。


 この『自由と社会的抑圧』もやはり難解であるが、短いということ、またきちんと完結した論考ということもあり、個人的には『根をもつこと』よりも、ずっと親しみやすいものに感じた。

 マルクス主義が到来を予測した革命が信仰のようなものであり、根拠のないことを痛烈に批判しながら、唯物論的思考を救い出し、マルクス的な方法で人間の営みに抑圧が必然的に生じてしまうことを論じていくところなどは、才気煥発といった感じで、瑞々しさをも感じる。

 そうした上で抑圧からの解放が自由ではないとしながらも、現代社会が自由な思考を許さない状況に進んでいることを分析していく。読んでいるだけでもうんざりするような現代の状況を真正面から見つめるのは、過酷な作業ではなかったかと思う。

 しかしエピグラフにかかげられたスピノザの「人間にかかわる事象においては、笑わず、泣かず、憤らず、ただ理解せよ。」という言葉通り、的確に淡々と論を進めていく点には驚いてしまう。

 こういった流れが止めようがないものだとしても、やはりヴェイユが言うように、現代社会がもたらす人間の危機について知り、理解することは大切だろう。

 70年以上立った今でも輝きを失っていない、すばらしい論文だと思う。
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