深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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冲方丁『天地明察』
天地明察天地明察
冲方 丁

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『理を説くこと高尚なりといえども、術を解することうかつなる者は、すなわち算学の異端なり』
 算術を〝学〟と呼ぶ。それ自体が、この非凡の士の本質のような気がした。
 たとえば朱子学において、学は、小学と大学とに分けられる。
 大学は理念、小学は基礎教育。この稿本は、いわば大学と小学とを結ぶ、堅固たる階梯になろうとしていた。どんな者も小学から大学へと至れるのだと告げていた。特殊な存在でなければ、その道すら辿れないなどとは言っていなかった。
「……私でも、良いのですか」
 稿本に向かって、ささやくように口にした。
 問いながら同時に答えているような、おずおずとした表明の言葉だった。
「……私でも」
 込み上げる思いで、かえって声が詰まった。代わりにぽたぽた涙が零れて膝に落ちた。
〝退屈ではない勝負が望むか〟
 老中酒井の言葉がふいによみがえり、我知らず、強く拳を握りしめた。
 今このときほど、それを望んだことはなかった。これほどまでに自分がそれを望んでいたことにやっと気づいた。
 そしてそれが〝算学〟という言葉によって、今、己の目の前にあることに気づいた。
 洗われてゆくような心の中で、そのとき春海は、はっきりと決心した。
 この稿本を読んでのち、問題を作ろう。
 そして村瀬に断り、あの磯村塾の一隅に張り出すことを許してもらう。
 ただ一人の士に献げ、また挑むためだけに。
 渾身の思いをもって独自の術を立ち上げ、それによって、あの関孝和に出題するのだ。

冲方丁『天地明察』


 ふだんあまり小説を読む人ではない母親の口から冲方丁さんの名前が出てきて驚いた。どうしてと不思議に思っていたが、この『天地明察』で2010年度の本屋大賞を受賞したということらしい。私も食指を動かされ、図書館から借りてきた。

 冲方丁さんの作品はこれが初めて。その昔、知人が持っていた『マルドゥック・スクランブル』を見せてもらったことがあったが、ずっしりとした文体に尻込みしてしまった。

 その後も各所で名前を耳にし気になる人ではあったけれど、アニメ「蒼穹のファフナー」の脚本をしたりと、スタイリッシュなイメージで肌に合わないかなと避けてきたところがある。要は嫉妬でしょう。
 さて、この『天地明察』は江戸時代四代将軍家綱の治世、囲碁の家元に生まれた渋川春海が算学に熱中し、さまざまな人との出会いを通して、平安時代から使われていた宣命暦のずれの修正に取り組むことになる姿を描いたもの。

 物語のプロローグは春海が悲願を達成したことをほのめかす場面からはじまる。この物語を読むまで、恥ずかしながら渋川春海という人物を全く見落としていた。しかし暦の修正という、一見地味なその題材は確かにわくわくさせるものがあった。

「マルドゥックシリーズ」のイメージから身構えてしまっていたが、初手天元を愛したというエピソードを持つこの人物らしく、直情径行のわかりやすい、少しとぼけたところのある人物として描かれ、拍子抜けがするほど読みやすいものになっていた。

 春海は算額絵馬の問題を一瞬で解いてしまったという関孝和のことを知り、渾身の問題を出して勝負を挑む。ところがその問題は「無題(解なし)」で、大恥をかいたと信じ春海は切腹さえしようとする。

 算学馬鹿としか言いようがない。「無題」の問題を出したことで切腹しようとする思考回路はさっぱり理解できない。しかし算学に熱中し、のたうちまわる主人公を好きになってしまうのだ。

 保科正之、水戸光圀、山崎闇斎などの有名人物をはじめ、春海に協力を惜しまず、それぞれが難事業に情熱的に取り組む気持ちのよい人物ばかりで、実に清々しい。

 結局のところ、暦の問題について春海がどのように解決に至ったのかという部分があっさりと記述されていて、正直なところ、上っ面をなでただけのようなすわりの悪い思いは少なからずある。いよいよという盛り上がったところから、一気に駆け足になってしまうのだ。

 しかしこのおもしろいモチーフを見つけ、算学という日本独自に発展した学問の熱に当てられた人物たちの颯爽とした姿を描く物語に仕立て上げたのはやはりすばらしい。戦国の無骨な時代から文化が花開いていく、その息吹を感じさせる時代として美しく切り取られていて、とても新鮮な思いがする作品だった。


 そういえば映画化もされるということで、そちらも楽しみにしたい。
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