深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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幸田文『流れる』
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幸田 文

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 さすがに疲れていた。疲れすぎていた。瞼が重くなっても眼が奥が明けっぱなしになっている。からだじゅうぐんなりしているのに鼻が起きている。巻きなおした時計が兵隊の行進のようだ。なぜ自分はここにいつこうとする気があるのか、こんなよくもないうち! 寝返ると新聞がごそごそ云う。紙屑だ。ああいやだあの焚き口、庇が四方から迫ってそのあいだに畳一畳分の空に星が高くまたたいていたっけ。そうだ、ふしぎにここの庇と庇のあいだに自分のいるところがあるように思う。なぜだか知らないけれど、狭いその庇の下の隙間がいちばん安全で自由で、空へ向って伸びのできる気楽さがあるような気がするのだった。

幸田文『流れる』


『猿のこしかけ』に収録されている「旅がえり」という随筆集に「川」と題する作があった。ですます調で書かれたその短い文章に次のような一節があった。

「流れる」はそんな気もちのものです。どこの国のなんという山、なんという川と限ったものではないつもりです。川の筋道には土地がひらけ人が集まり、繁盛のかげには喜怒哀楽があります。いずこも同じこと、どこにもある山であり川であり、春夏秋冬、月も雪も花も紅葉もひとつに抱いて流れるのではないでしょうか。

『猿のこしかけ』「川」より


「流れる」という言葉に幸田文が込めた何となく伝わってくるような気がした。著者の代表作である『流れる』を読むなら今だろうと、勢いに身を任せて読んでみることにした。

 幸田文のエッセイはいくつか読んできたけれども、小説は『おとうと』以来の二作目になる。

 40を過ぎた未亡人の梨花は芸者置屋の住み込み女中として花柳界に足を踏み入れる。賢く気働きのできる梨花は次第に主人の信頼を得ていく。しかし主人の置屋はさまざまなトラブルを抱え、芸者たちが次々と離れていく落ち目の状態にあった……。

 これはすごい小説だった。何というか勉強になるなという感じがする。玄人の世界へ40歳を過ぎた女性が飛び込む。それは相当に難しいことのはずだ。

 しかし主人公は周囲の視線や過酷な環境などまるで気にしないかのように自然に周囲へ溶け込んでいく。上に引用した主人公の自らの境遇の捉え方が気持ちよい。また周りの人間を観察して自分のすべきことを把握して行動する、かといって自分を曲げて媚びるでもない。何となく老子を思わせるような、しなやかなその生き方は颯爽としていて清々しい。

 日常のディテールもしっかり書き込まれていて、勝手口から花柳界を覗くような視点を味わうことができるのもおもしろかった。
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