深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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幸田文『猿のこしかけ』
猿のこしかけ (講談社文芸文庫)猿のこしかけ (講談社文芸文庫)
幸田 文,小林 裕子

講談社
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おすすめ平均 : 5つ星のうち4.0

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 はじめから懲らすのが目的だから、なるべくこわがらしてやれというつもりだったが、なにせ犬は数が多いし、中庭だからそう広くはないし、こっちはめったに持ったことのない武器――しない・木剣は武器類に入れたい感じなのだ――をふりまわして生きものを叩くのだ。犬もこわいだろうが、こちらも上ずって当りほうだいの、力加減などありはしなくなった。先夜の父へのようにしないに噛みつくのはいないけれど、打たれるとくるりとひっくり返っておいて下から牙を剥くやつがいて、ぶるっとする。だからいよいよ上ずってさっと散る。とうとうそこで私は坊主枕型をがんとやった。大仰な声をあげた。二度目に又そこの入口へ迫ったとき、やはり彼がいて、その彼はよほど必死だったのだろう。あのぶざまに短い手足をもがいて、雨戸の横桟をたよりに六尺の戸をのぼると、向う側へころがり落ちた。どうやってのぼったか、見ていたくせにまるで奇蹟だった。竹垣のほうの入口は支柱が倒れて、そこから犬どもはみな逃げた。そして私と弟が息を切らしてまだはあはあ云っているのに、はや表玄関のほうでは喧嘩になっていた。格子が締まっているのに、その外でむだな啀みあいをしているのである。懲りるも何もあったものではない。むしろ私たちの負けである。

幸田文『猿のこしかけ』「春の犬を追う」より


『木』がとてもよかったので、積読になっていたこちらを引っ張り出してきた。

 200ページ程度のこの一冊には、「猿のこしかけ」と「旅がえり」と題する随筆集が収録されている。

 猿のこしかけは wikipedia によると、木の幹に棚状に傘をつけるキノコの総称だという。「あとがきにかえて」という文章で、著者は少女時代にこのキノコをよく見かけ、汚らしいと思いながら、忘れがたいと語っている。そして北海道で再び猿のこしかけを見つけ、懐かしいといったところ、材木屋にとっては木の養分を吸う厄介者だと聞いたという。そんな名前をつけたのはばからしいが悪くないとも。
 時とともに身の回りの品も言葉も習慣も変わっていく。廃れていくものはそれなりに理由もあるだろう。今となってはおかしいもの、時代遅れで消えてしまったもの、しかしそんなものたちが不思議と忘れがたい。

 ここに取り上げられているのは決して美しいものではなく、どきりとして嫌な感じのするものを題材にしている。けれども無くなってしまって寂しい。そんな思いで昔を振り返ったものなのだろう。

 盛りのついた近所の野良犬とすさまじい戦闘を繰り広げる様を記録した「春の犬を追う」はおもしろい。犬たちのみじめな表情まで浮かんでくるような、実に細かい観察がされている。かといってテンポが悪いどころか、小気味いいリズムで楽しいドタバタ劇となっている。このドタバタの末の求愛活動の結末も何となくおかしい。

「3人のじいさん」や「葉ざくら」にも、どこの界隈にもこういう人たちはいそうだなという、いかにもな人たちが描かれていておかしい。煙たがられながらも近所付き合いの中で忘れがたい印象を残す人がいるもんなんだなと、ふと昔を偲ばされる気持ちがする。

 その他に印象に残ったものに「晩夏」がある。母親の実家に里帰りしたときの退屈がつづられていて、その気持ちが身にしみてよくわかる。友だちを呼び出すものの、すぐに退屈してしまってやることがなくなる。

 帰りたい気持ちでいっぱいになって、天気の悪い中、少女二人で飛び出していく。案の定、天気が崩れて雨の森を迷子になって歩く。その心細い気持ちが痛いほど良く伝わってくる、臨場感のある文章で手に汗を握る思い。おばさんに見つけられる場面は自分のことのようにほっとしてしまう。

「山で迷う人は、自分がくだってる、くだってるときめているんで迷う」というおばさんの言葉も示唆的で心に残った。
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