深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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カルデロン・デ・ラ・バルカ『驚異の魔術師』
驚異の魔術師 ほか一篇 (平凡社ライブラリー)驚異の魔術師 ほか一篇 (平凡社ライブラリー)
(1997/04)
カルデロン デ・ラ・バルカ

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歌声
 人のこころはかならずや
 愛の炎で燃え上がる。
 ただただ生きて行くよりも
 人を愛するほうが活気づく。
 愛から高い評価を受けるのは
 この生き方を知るもののみ、
 樹幹や花や鳥がそうであるように、
 ゆえにこの世の偉大なる栄光とは……
一同
 愛、愛。

カルデロン・デ・ラ・バルカ「驚異の魔術師」より


「ゲーテとの対話」でゲーテが賞賛している作家のうちで、スコットやヴォルテールなど未読の作家も多いのだが、たまたまカルデロンは手許にあったので読んでみた。

 カルデロンは17世紀スペインで活躍した劇作家。本書にはかなり多作だったらしい作者の作品の中から、殉教した聖人伝説をモティーフにした宗教劇“驚異の魔術師”と、名誉のために命を惜しまない人間たちが繰り広げる「<マント>と剣の喜劇」から“淑女「ドゥエンダ」”の二篇が収められている。

“驚異の魔術師”はキリスト教迫害時代のローマ帝国領アンティオキアが舞台。主人公シプリアーノは全知全能の神の存在を求め学問に打ち込む青年。友人二人を相手にしない女性フスティーナに掛け合うところ、彼自身も恋に落ちる。彼女はキリスト教徒だった。主人公は悪魔と契約を結び一年かけて魔術を学ぶ。しかしフスティーナの堅い信仰の前では通じず、彼が呼び出すことができたのは影法師だった。彼女を守ったのが全知全能の神であることを知った彼は、キリスト教に改宗し、キリスト教徒であることが露見したフスティーナとともに殉教するというもの。

 死を恐れることなく殉教し天国で結ばれることになる主人公たちの姿は美しいけれども、あまりにも清潔すぎて少し退屈な感じがする。特にヒロインの魅力がもう一つ。神の存在をおぼろに感じながらはっきりとつかめない青年と神に気づかせないようにする悪魔との対話は面白いのだが。

 むしろ道化である主人公の下男二人が、ヒロインの下女を一日ごとに代わり番こで愛する取り決めをする関係のほうが楽しめる。
 それよりも面白かったのは演出のほうで、魔術で呼び寄せたヒロインが影法師に過ぎず骸骨に変貌し、「この世の栄華とはどれもみなこういうもの」と言葉を残して消えていくところなどは、舞台が目に浮かぶような思いがする。

 こういったこの世をはかないものと見る世界観や自由意志は運命をも打ち破るという考え方はバロック時代に共有されていたようで、バロックというと派手なイメージしかなかったので意外だった。


“淑女「ドゥエンダ」”は、主人公ドン・マヌエルが旅の途中男に追われる見知らぬ女性を助けるから始まる。主人公が戦った相手は彼の戦友ドン・フアンの弟ドン・ルイスであり、負傷した彼はドン・フアンの家に身を寄せる。彼が助けた女性は彼らの妹ドニャ・アンヘラで夫の喪に服す生活に嫌気がさし家を脱け出したのだった。彼の高潔な行動に惹かれた彼女は、兄弟に隠れて彼の部屋に通じる隠し扉を使ってもてなしをする。扉を知らない主人公一行は、部屋の侵入者の存在に気づき混乱していくというもの。

 ドゥエンダとは小悪魔といった意味で、知らない間に部屋を荒らしたりといったいたずらをする存在らしい。注によるとカルデロンは女嫌いではないかと思わせるほど、喜劇では女性をはしたない軽率な性格に描く傾向があるようで、このドニャ・アンヘラも例外でない。喪中にもかかわらず自由を求めて飛び回るのは行きすぎな気もしないでもないが、活き活きとして魅力的である。

 名誉を守るためにすぐに剣を抜く男性陣のそそっかしい性格やドゥエンデの存在を信じこんでしまう臆病な従者の性格もあいまって、いつばれてしまうのかとはらはらしながら笑える楽しい作品になっている。個人的にはこちらのほうが好き。

 扉をうまく使って、登場人物たちがめまぐるしく出入りする物語は、舞台で見ても楽しいだろうなと、劇場で見たい作品。
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