書評家“狐”の読書遺産 (文春新書) (2007/01) 山村 修 商品詳細を見る |
そしてもうひとつは、体の半分は夢まぼろしのうちにさまようごとき九鬼さんこと芥川龍之介の肖像にあるだろう。モデル小説は批評の一形式である。かつて高橋源一郎が、関川夏央と谷口ジローの合作『「坊ちゃん」の時代』を評して、このマンガを読むと、「これ以外に漱石のイメージがもてなくなってしまうぐらい説得力があるのだ」と書いた。
おなじく、この『蕭々館目録』を一度読んだら、晩年の芥川龍之介について、これ以外のイメージをもつのはむずかしくなる。
秋だというのに、「麗子ちゃん」をさそって氷イチゴをたべる楽しいひととき。やがて死にゆく芥川の日々から、たとえばそんな小春日和のような時間をすくいあげてみせるところに、この小説にこめた作家の批評がある。その批評ぶりがこまやかである。あざやかである。かなしく、真摯である。山村修『書評家〈狐〉の読書遺産』
『〈狐〉の選んだ入門書』『遅読のすすめ』は非常に自分好みの著作で、示唆を受けるところも多かった。
そこで書評家としての山村修氏の作品を読んだことがなかったので、こちらを手にとってみた。このブログは書評と呼べるものではないけれど、この面でも何かの参考になればいいなと思って。
本書は山村修氏が最晩年に雑誌「文学界」に連載していた書評をまとめたもの。2003年から2006年までのものが収録されている。
紙幅の制限があるためか、『〈狐〉の選んだ入門書』のような語りかけるような文体ではなく、短い文で本の情報がを次々と示されるので、軽快さの感じられる文章となっている。
どの書評も紹介する本を腐すようなことはなく、かといって押し付けがましくもなく、本の魅力を豊富な言葉で紹介している。
時に踏み込んで語ったように見える場合でも、実はそういうには訳があるのですと他の本を引用して補強してみせたりする。その読書量とそれを引き出してきて結びつける手腕はさすがだなと思う。
そして何より書評の性格上、当時の新刊が順に紹介されているため、その頃のことが思い出された。「この新訳は話題に上ったな」、「この本、気になったけど買えなかったな」と懐かしい気分にひたりながら読んだ。
書評をまとめて読むということにも意外な効果があるんだなあと思う。
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