深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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山村修『〈狐〉の選んだ入門書』
“狐”が選んだ入門書 (ちくま新書)“狐”が選んだ入門書 (ちくま新書)
(2006/07)
山村 修

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 たまたま向きあって用を足す二人のうちの一人が、もう一人にだまって紙を差しだす。たったそれだけの、なんとも些々たる光景です。詩人に紙をわたした老人も、あえて「好意」からというより、たまたま前に腰かけている男をみて、なんということもなくおのずと動いただけのことかもしれない。しかし私はここを読んで、絶望という言葉の反対語は、希望などというしゃらくさい言葉ではないとあらためて感じました。なにかもっと希薄で、目にみえないヒラヒラしたものをあらわす言葉がふさわしい。それではどんな言葉がいいのか。さんざん考えてみましたが、ついにみつかりませんでした。
 いまの日本でも、ときには――もちろん樽に腰かけて用を足すということではなくて、べつのかたちで――みられる光景かもしれません。しかしその光景のニュアンスをはっきり指示する言葉がない。日本語がない。これは不幸なことです。絶望の対極をあらわす日本語がないかぎり、いまなお、私たちは金子光晴の書いた「絶望」の精神史(それは近代史のゆがみそのものです)の延長戦のうえに生きるしかないのです。

山村修『〈狐〉の選んだ入門書』


 久々にこの本を手にとる。

 3年前、新書を手当たり次第に読んでいた。この本も書店で手にとってみて強い印象を受けた。しかし、小遣い銭が少なく、紹介されている本も当時の関心とややずれていたので、買わずにしまった。
 その直後訃報が流れ、衝撃を受けた。

 著者は司書として都内の私立大学に勤める傍ら、〈狐〉の名で日刊ゲンダイに匿名書評を二十年以上も連載続けた人。

 本書はそんな著者が選んだ「入門書」25冊を紹介したもの。ここでいう「入門書」とはある分野の手引書ではなく、それ自体一個の作品であり、新しい見方を見せてくれる、読書の喜びに満ちたものとしている。
 言葉、古典、歴史、思想、美術史の5つの分野から5冊ずつ紹介されている。いわゆる人文系に集中しているが、その中では古いものから新しいものまで多岐に富んでいる。文庫や新書で出ているものが多いのも嬉しい。

 語り口は優しく、とても読みやすい。そして自らが受けた印象、感動を的確に言葉にして、「いいじゃありませんか」と率直に語っている。著者が本当に楽しんでいるのだろうと思わせてくれる。

『ヨーロッパ思想史入門』『社会認識の歩み』など、何冊か読んだことのある本もあるが、著者の注目しているところに、そんなところあったかなと自らの読みの甘さを思い知らされる。

 そんな著者自信もヴァレリーを引きながら、「意志してものを見る」ような読書をしてきたかと謙虚に語っている。そこに頭が下がりつつも共感を覚える。


 特に印象に残ったのは、金子光晴の『絶望の精神史』の紹介。上に引用した部分のように、絶望の対義語は希望ではないのではないかとしている部分。本を引き立てることに徹する著者だが、自らの考えをはっきりと述べる部分もあって興味深い。

 この部分は「それを指し示す言葉がなければその思想があったか疑問」という主旨の内藤湖南の章とつながっているのかなと思えたりと、この本の中でもいろいろ関連が見えたりしてとおもしろい。


 しかしやはり何より印象に残ったのは「私と〈狐〉と読書生活と――あとがきにかえて」と題する最終章。

 ここで著者は「世の職業人でいちばん自由に読書ができるのは、もしかすると、研究者でもなく、評論家でもなく、勤め人かも知れません。」と語っている。そして読書の時間は作り出すのだとも。

 3年前に立ち読みでこの節を読んだとき、そういう考え方もあるのかと、強く印象づけられたのだった。

 もしかしたら著者は死期を悟っていて、自らの読書生活を振り返ってみたのかもしれない。そしてそれをよしとした。

 それは想像に過ぎないが、足許にも及ばないとしても同じ本を読む人間の端くれとして、参考にしたい尊敬に値する生き方だと思った。
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