深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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エッカーマン『ゲーテとの対話 下』
ゲーテとの対話 下    岩波文庫 赤 409-3ゲーテとの対話 下  岩波文庫 赤 409-3
(1969/01)
エッカーマン

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「とにかく、」とゲーテはつづけた、「国民的憎悪というものは、一種独特なものだ。――文化のもっとも低い段階のところに、いつももっとも強烈な憎悪があるのを君は見出すだろう。ところが、国民的憎悪がまったく姿を消して、いわば国民というものを超越し、近隣の国民の幸福と悲しみを自分のことのように感ずる段階があるのだよ。こういう文化段階が、私の性分には合っている。そして私は、六十歳に達する前から、すでに長いあいだ、そういう段階に自分をしっかりおいているのだよ。」

エッカーマン『ゲーテとの対話 下』


 ちょっと駆け足になってしまってもったいなかったが、連休中に読了することができた。上の引用は、ニーチェが影響を受けたという文化と野蛮に関する対話から。世評に惑わされず自らの信念に従ったゲーテの力強い姿が出ているところだと思います。

 本書はエッカーマンによるゲーテとの対話録の三巻目。(上巻中巻はこちら)前巻でゲーテに出会ってから彼が死ぬまでの10年を一通り振り返っていたが、本書ではゲーテの著作の一部をフランス訳をした友人ソレ氏の手記も交えながら、そこにおさめられていない対話を収録している。

 まだまだこんなに面白い内容が収録されずに残っていたのかと驚くほど、本巻はおもしろかった。その内容は多岐に渡るが、舞台芸術のことや演劇論、フランスのロマン主義に関する動向などについての意見といった文学面の記述が多い。

 ソレ氏の手記は事務的な書き留めが多く退屈だが、別の人間の手になるものが入り込むことによって、エッカーマンがどれほどゲーテという人物を活きいきとよみがえらしているかを痛感した。

 エッカーマンはゲーテの遺稿編集者という立場から有利だったのかもしれないが、ゲーテの生の言葉を残すことができたのには驚く。ゲーテという人間を目の当たりにしているかのように描き出す人間がいたことは幸せなことだと思う。
 本書で印象的なのは、老いたゲーテが自身の不得手な分野について語るエッカーマンに対して虚心に耳を傾けるところ。エッカーマンが弓を扱うの見て自らも射てみたり、托卵する鳥の生態について聞き考察したりしている。何気ない対話だが、老いながらも好奇心を失わず学ぼうとするゲーテに強く惹きつけられた。


 三冊通して詩や絵画、演劇など創作に関係する人間にとって興味深い内容が多かったが、そこで感じたのはゲーテが実に細かいところまで見ているということ。それは例えば次のような部分にも表れているように思う。

「われわれは、自然の中に存在するものを見るばあい、ひとつひとつをばらばらに見るのではなく、どんなものでも、その前後、左右、上下にあるほかのものとのつながりで見ているものだ。それでも、ある個々の対象がとりわけ美しく、絵のように目を惹くことがある。しかし、この効果を生み出すものは、その対象だけでなく、それと前後、左右、上下にあるものとのつながりなのだよ。そういうすべてのものが助け合って、ああした効果を上げているというわけだ。」

エッカーマン『ゲーテとの対話 下』



 こういった部分は、最近興味を持っているアフォーダンス理論にも似ているところがあるのではないかと思う。『色彩論』を誇りとし、視覚について考察し続けていたゲーテの観察眼はすごいなと改めて思った。
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