深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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隆慶一郎『死ぬことと見つけたり』
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「だから武士たるものは、全力を尽くしてその地位に登るために励まねばならぬ」
 詭弁だ、と求馬は思った。立身出世のために全力を尽くすなんて、そんなみっともないことが出来るか。それこそ武士の面汚しだ。武士の本分から遠く離れたものだ――。
「私の欲のためにするなら、確かにその通りだ。だがわしの云うのは違うぞ。武士たるものの本分を尽くすために、何事にも耐え、悪口にもさげすみにも耐え、ひたすら殿にとり入り、御老職にとり入り、死にたくなるような恥辱にも耐えて、その地位を掴めと云うのだ」
 みっともない、だの、武士の面汚しだ、などと軽々しく云うな。そんなことをほざいている奴こそ、私のために楽をしているではないか。苦労するのがいやだから、そんなことを云っているだけじゃないか。
「わしは明けても暮れても、立身出世のことことばかり考えてきた。気の遠くなるような、長い、辛い道だった。だが、見ろ。今日、わしは本望かなって、無事に武士の本分を果して楽して死んでゆく。これほどの死がまたとあろうか。わしは天下の倖せ者だ」
 そうして父は、顔をあおのけて、大笑いに笑った。しんから倖せそうな笑いだった――。

隆慶一郎『死ぬことと見つけたり 上巻』


「天地人」は一度見るのを忘れてそのままになってしまったが、直江兼続といえば前田慶次、前田慶次とえば隆慶一郎である。

 与太話だけれども、前から気になっていたけれど、凄惨な感じ、未完であるということからなかなか手が伸びなかった本書へのきっかけになれば何でもよかった。

 本書はその晩年に作家デビューをし、多くの人間を勇気づけた隆慶一郎の最後にして未完の長編作品。タイトルどおり鍋島武士道を題材にした連作短編的な作品。
 島原の乱で原城一番乗りを果たす斎藤杢之助と中野求馬の二人を中心とした男たちが、佐賀藩のお家騒動とそれを付けねらう老中松平信綱に立ち向かう。

「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という言葉から、死を好むような、黙々と死ぬことを強いるような印象があって好きではなかった。

 著者も似たような印象を持っていたようだが、奇しくも戦争が著者と『葉隠』を結びつけた。無性におもしろかったという。

『葉隠』が面白くてはいけないのか? そう問いかける著者の葉隠との出会いを語ったまえがきがすばらしい。

 主人公の斎藤杢之助は寡黙で鷹揚とした浪人にすぎない。しかし毎朝自らの死をイメージして死人となっている。あれこれと算段することなく突き進む。それで犬死しようと関係ないと思っている。

 その生き方がとても清々しい。死人であるからどのような脅しにも屈しない。一介の浪人が藩主勝茂やその係累、さらには老中でさえもどうすることもできず怖れている。こんなに痛快なことはなかなかない。

 死人でありながら家族や友人を持っているところがこれもまたすごい。家族に絆されることもなく、しかし不和どころかいい関係を築いている。娘静香の決闘は美しく、物語の中でも印象に残る場面だった。


 物語はだいぶ終わりが見えるところまで進んでいて、著者のシノプシスが公開されていてる。また一話ごとにある程度完結しているので、十分に楽しめる作品。

 とはいえ、未完であることは惜しい。上に引用した部分のように、父親の死に疑問を持ち、出世の階段を昇りつめた中野求馬がどのような死に様を見せるのか。そこはやはり読んでみたかった。
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