深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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中島義道『人を〈嫌う〉ということ』
ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)
(2003/08)
中島 義道

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「前科者!」とか「人殺し!」とか「私生児!」とか「オカマ!」とか「インポ!」とか「片端!」とか「パンパン!」とかとかの言葉を投げつけられた当人は、常日頃そのラベルの不当性に激しく抗議しているはずなのに、とっさに他人からこうした言葉の矢が飛んできたとき、平静ではいられない。頬は熱くなり、心臓の鼓動は速まる。こうした身体の変化をもって、自分がその言葉を引き受けていること、そしてそうした自分に羞恥心を抱いていることを承認している。つまり、頭でどう思おうと、身体全体で反応する羞恥心を通じて、こうした呼称が自分に貼られる正当性を承認しているのです。それがまったく不当であると感じているのなら、生じるのは怒りだけであって、羞恥心ではないはずですから。

中島義道『人を〈嫌う〉ということ』


 年末、プリンタを借りようと妹の部屋に入ると、目についたのがこの本。また変なものを、と思ったら、著者が中島義道さんで吃驚。

「あの子も人間関係で悩んでるのかしらん」と要らぬ心配を抱きながらも、嬉々として拝借してきた次第であります。

 本書は文字通り、「人を嫌うということ」が自然なことであり、またどこまでも理不尽なものであり、その気持ちを見つめ付き合っていくことを説いたもの。
 そういった意味では同じ著者の『怒る技術』と同じ種類の本だといえる。しかし『怒る技術』がからりとした軽い読み物だったのに対し、こちらはずしりと読み応えがある。

 それは著者が冒頭で語る執筆動機のせいかもしれない。著者はある事故をきっかけに妻と息子から徹底的に嫌われることになったという。著者はさらりと語っているが、傍から見ても血の気が引くほど洒落になっていない。

 こうして「嫌い」に向き合うことになった著者は、人を嫌うことに罪悪感を抱き、人から嫌われたくないと必死になる社会のおかしさを指摘していく。

 なかでも興味深いのは、第3章の人を嫌いになる原因を探るところ。人間関係のメカニズム、力学的な構造とでもいえるものを執拗に分析していく。この辺りは何となく社会心理学者ハイダーのバランス理論を思い出した。


 全編通じてわが身に思い当たる指摘ばかりでおもしろかったのだけれど、一番衝撃を受けたのが引用した部分。

 自らのコンプレックスはどれだけ克服したと思っても、人の目なんか気にすることないと言い聞かせても、他人の言葉に体が反応してしまう。顔が赤くなり、胃がきりりと痛む。

 そうして自分が克服したと思っていたのが間違いだったこと、気にすまいと思っている自分でさえ、その言葉にとらわれていることに思い当たるというのはよくあることじゃないかなと思った。


 個人的にもう一つ印象的だったのは「嫌い」と向き合う生き方を「幸福ではなくても豊かな生き方」と読んでいるところ。

 一般にいう「幸せ」とは違う状態にあって、とはいえこれはこれでありかと思うこともある。だからといって「幸せ」というのはためらわれる。そんなときを表するのにぴったりじゃないかと思ったのだった。
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