深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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中島義道『人生を〈半分〉降りる』
人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)
(2008/01/09)
中島 義道

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モラリストは自然にスノッブ(snob)となります。スノッブの定義は難しい。一種の俗物なのですが、世の中で価値あるとみなされていることすべて(あるいはほとんど)に対して抵抗しがたい崇拝の感情をもち、それを崇め奉ることにトンと自尊心が傷つかない人、とでも言えましょうか。しかし、こうした単純な形態から始まって、自分自身の卑劣さを自覚してそれを隠そうとする態度、反抗する態度、無関心を装う態度……と複雑化し、さらには単純なスノッブを装う態度にまで発展して、とどまることがない。これは社会文化的に劣勢にあるものの運命的態度なのです。

中島義道『人生を〈半分〉降りる』


 あけましておめでとうございます。吹けば消えそうな弱小ブログですが、今年もマイペースに続けていけたらいいなと思っています。


 新年一発目からこのタイトルか、という感じもしますが、どうしようもなく惹かれてしまったので。『カントの読み方』を読んで自我論に突っ込んでみようと思ったものの、なかなか歯ごたえのある著作だったので、少し読みやすそうなものをという意味でも。

 本書のような氏のエッセイ的な著作は口調が厳しく苦手でもある。しかし本当は我が意を得たりというタイトルに惹かれ読み始めても、自らの中途半端さを思い知らされて、居たたまれなくなるからかもしれない。
 本書は主に人生に見切りをつけた40-50代を対象に「人生を〈半分〉降りる」、つまり社会から完全に脱け出るのは難しくても、なるべく社会から離れた〈半隠遁〉生活へ誘うもの。

 世のため人のために時間を使うのではなく、どうせ死んでしまうのだから人生の謎に残りの人生を使うことのほうが大切ではないかと著者はいう。

 引用したのは福田恆存氏を引用しながらスノッブについて語った部分。人に嫌味に思われまいと思ってみても、それ自体が俗物にとらわれた一種の俗物なのだという指摘には参ってしまう。

 結局俗物であることからは逃れられないのだから、無理をして矯正しようとするよりも「すなほに」従ったほうがましなんだろう。

 また『カントの読み方』が今ひとつわからないのも、「第一原理」を求める衝動、絶対確実なものを求めるという西洋哲学の前提にぴんとこないせいなんだろうなと思った。私はどうにも鈍いんだろうな。

 若干、学会や学者といった同業者ネタが多く感じられたけれど興味深い一冊だった。


 福田恆存さんの著作はシェイクスピアぐらいしか読んだことがなかったので今度何か読んでみようと思った。
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