深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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内田樹『私家版・ユダヤ文化論』
私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)
(2006/07)
内田 樹

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 これらの一連の現象に通底しているのは、夾雑物なき純良な国民国家のうちに国民が統合されていることが「国家の自然」であるという日本人の願望(あるいは妄想)である。そのような単一体として国民国家を想定する人々は、国民国家が複数の流動的要素がたまたま一時的に形成している過渡的な「淀み」のようなものであり、いずれ時が来れば、生成した時と同じように解離してゆくものだという、通時的な流れのなかで政治過程を理解することを嫌う。国民国家というものはソリッドで「万世一系」の単体でなければならないという前提の妄想が、入力と出力がペニー硬貨とガムのように対応する「閉鎖系」を要請するのである。
 ここまでわかったことの一つは「ユダヤ人から見た日本の歴史」は「日本における反ユダヤ主義の歴史」と同義だったということである。今一つは、日本における反ユダヤ主義は情報の欠如によって発生したものではなく、むしろ欲望の過剰が呼び求めたものだということである。
 本書の冒頭に私はこんな問いを置いた。「日本人はユダヤ人という観念を手に入れることによって、何を手に入れようとしたのか?」。私はこの問いにとりあえず近似的な回答のようなものを提出できたのではないかと思う。
 明治期の「日猶同祖論」を通じて日本人が手に入れようとしたのは、「聖史的=霊長的子種」ゆえの受難という「物語」であった。この「物語」によって日猶同祖論者たちは世界史的な通用性がある(ように彼らには信じられた)「血統神話」を手に入れた。大正期の近代反ユダヤ主義を通じて日本人は陰謀史観という「閉鎖系の政治学」を手に入れた。

内田樹『私家版・ユダヤ文化論』


『健全な肉体に狂気は宿る』でよくも悪くも強烈な印象を残した内田氏。その代表作かなと思われる本書を読んでみた。

 やはり普通に生活しているだけでも、「ユダヤ陰謀論」に出くわすことはままあって、ユダヤ人には少なからず関心があった。

 本書はユダヤの文化を語ったものというよりも、「なぜ、ユダヤ人は迫害されるのか」という問題に取り組み、その背景にある理由を探るもの。
 まず著者はユダヤ人とは何かということを消去法で語りだす。ユダヤ人は国民名でも、人種でも、ユダヤ教徒のことでもないという。

 そういった全く実体の伴わないユダヤ人という概念が生き残るのは、ユダヤ人ではない「私たち」によって媒介されているとし、ユダヤ人とそうでないものの関係から問題に迫っていく。

 そこで明らかにされるのは、ユダヤ人ではない私たちが「ユダヤ人」を必要としているということである。人は時として自らが属するカテゴリーの純粋さと永遠性を確認するために、自らとは最も離れた他者を熱烈に必要とすることがある。

 そして終章では著者が師と仰ぐレヴィナスらに触れながら、ユダヤ人自体がそういった受難を経て、それを受けとめる中で、他人から名指され規定されるというところからイノベーティブな知性を育んでいったのではないかとする。

 そしてそのユダヤ的知性が反ユダヤ主義者たちを引き寄せていったのだと推理する。


 かなり力の入った著作で読むのにはかなり骨が折れる。正直いってレヴィナスの記述などは私にとっては難しかった。

 しかしユダヤ人の問題を扱いながら、私たちの問題を洗い出していく展開は刺激的だった。

 ファシズムの起源と位置づけるフランスのモレス侯爵の話も興味深かった。
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