深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』
真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)
(1989/01)
寺門 泰彦サルマン・ラシュディ

商品詳細を見る

 現実とは遠近法の問題である。過去から遠ざかれば遠ざかるほど、それはいっそう具体的な、真実らしいものに見えてくる。だが現在に近づくにつれ、それはどうしてもますます信じがたいものになってくるようだ。大きな映画館で、はじめに後列に坐り、それから一列ずつ前方に進んできて、スクリーンに鼻をくっつけそうになるところまで行くとしよう。次第にスターの顔は分解して、踊る光の粒子になってしまう。細部がグロテスクなまでに拡大される。幻影が分解する――というよりも、幻影こそが現実であることがはっきりしてくる……一九一五年からスタートして五六年までやって来たので、かなりスクリーンに近づいたわけだ……このへんで比喩はやめよう。そして恥の意識を捨てて、自分の信じがたいような主張を繰り返すことにする。洗濯箱のなかの奇妙な出来事のあと、私は一種のラジオになったのだ、と。

サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち 上』


 かつて新古書店で見つけ積読になっていた本書だが、最近になってベスト・オブ・ブッカー賞に選ばれたと聞き、慌てて埃を払って読み始めた。

 様々な事件を引き起こし、自身も命を狙われることになった「悪魔の詩」の作者、インド系イギリス人のサルマン・ラシュディ氏。

 インド独立の日の真夜中に生まれたサリーム・シナイを語り手に、彼の祖父の時代から一家に起こった出来事がインド、パキスタンを舞台に語られていく。

 サリームは幼少時の事故からテレパシー能力を獲得し、ほぼ同じ時刻に生まれ特殊能力を持つ「真夜中の子供たち」と交信することができるようになるなど、魔術的リアリズム的な作品。
「百年の孤独」や「ブリキの太鼓」と比較されるだけあって、やはり私にとってはおそろしく読みにくかった。

 とはいうものの、全体的にドタバタしたコメディタッチな語り口で、何となくでも楽しんで読めてしまう。

 そしてその明るい雰囲気がインド、パキスタンの独立後の政治的な混迷の中で一変し、どんどんと暗くなっていき、意表をつかれた。

 特に第二次印パ戦争で一家が離散した後の「第3巻」はすっかり引き込まれた。スンダルバンでの彷徨、第3次印パ戦争の最中で真夜中の子供たちに加えられる拷問はすさまじい。

 サリームの語り手のパドマと出会ってほっとしたのもつかの間、訪れるラストには鳥肌がたった。


 サリームがパドマに語って聞かせるというスタイルがとても活きいきとしていて、先が読めず印象的だった。訳者あとがきによると、当初は三人称だったというのが信じられない。

 魔術的リアリズムの想像力についていくのは大変だけれど、コミカルな展開、インド近代史への含みなどがはっきりしているところなどは私にとってはとっつきやすかった。

 長くて読みやすくはないし、絶版になってしまっているようだが、ベスト・オブ・ブッカー賞に二度選出されるだけのことはあると思わされた作品だった。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://deepseafishtank.blog123.fc2.com/tb.php/143-b6ee6b20
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。