深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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中村元、三枝充悳『バウッダ』
バウッダ―仏教 (小学館ライブラリー (80))バウッダ―仏教 (小学館ライブラリー (80))
(1996/03)
中村 元三枝 充悳

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 以上に記してきたように、苦と、苦の本質とは、もともと自己そのものに根ざしており、それが自己矛盾・自己否定としてはたらくところにある。いってみれば、自己は、自己の最大の味方であり、同時に最大の敵でもある。自己はこうしてつねに自己と戦う。それは、なんびとにとっても避けられず、逃れることができない。生まれてきたものは、すべてそれをア・プリオリ(先天的)に自己の内にもっている。逆に、そのようにもっているということが、そのものを動かし、生かしている。安易で、放縦な、自己肯定・自己満足・自己安住などというものは、実はどこにもあり得ず、それらは蜃気楼や空中の楼閣に似て、たとえ存在するとしても、現実には死に果ててミイラと化した屍にすぎぬ。
 つねに苦はある。苦にぶつかる。一切が苦である。すなわち、自己が外へ、あるいは内へと向かいつつ、究極的には自己に集注して、その自己に背き、矛盾し、自己否定に陥らざるを得ないところにこそ、自己は模索し、努力し、精進を怠らない、それが「生きる」ということ、そのものなのである、と釈尊は説く。

中村元、三枝三悳『バウッダ』


 以前、中村元さん訳の『ブッダのことば』を読んだことがあり、仏教の入門書を探していて見つけた一冊。

 何だろうと思わせるタイトルは、サンスクリット語で「ブッダを信奉する人」を意味するという。

 本書を手にとるきっかけになった中村さんは、仏教の基本である三宝の解説と宗教と哲学の言葉の違いにとらわれすぎる危険を説いた『「宗教」と「哲学」の意義』という章を担当しているだけで、残りの4分の3は三枝さんの筆になる。
 三枝さん担当部分はは阿含経典と大乗経典の2つに分かれる。阿含経典というのは日本では耳慣れない言葉だが、ブッダ(釈尊)の言葉を唯一直接伝える経典だという。

 では何故日本では阿含経典への関心が薄いのか。それは様々な仏典が中国へ伝来した際に、歴史に関心の強い中華民族が仏教思想を釈尊の一代記として並べたことによる。これは教判と呼ばれる。

 ここで阿含経典は大衆にもわかりやすくレベルを落とした内容という位置づけがなされたため、大乗仏教が栄える中で軽視されてきたのだという。

 しかし釈尊の言葉を伝えるといっても、そのままということはありえず変遷を経ているため、文献学的な態度で仏典に向き合うことが重要になる。

 一方、大乗仏教が釈尊の教えそのものではないといのは事実だとしても、ブッダが「悟りを得た者」の意味すること、釈尊の教えを発展させたものであることを考えれば、決して無視できないとして、菩薩を中心に解説がなされている。


 仏教の内容の解説といった面はそれほど多くないけれども、仏教の展開や歴史がきっちりとまとめられている。特に阿含経典に関する部分はほとんど知らないことだったのでおもしろかった。

 また文献学的に仏典に迫ろうとする姿勢やニュートラルな記述もいいなと思った。
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