深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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山本七平『日本人とは何か』
日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (NON SELECT)日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (NON SELECT)
(2006/07)
山本 七平

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 簡単にいえばハビヤンに見られるように、以後の日本人も、諸宗教・諸思想の中から合理的と思われるものは採用し、不合理と感じたものは捨ててしまった。この点で、朱子学が正統派のようにいわれた徳川時代でも、日本は決して韓国のように朱子学一辺倒ではなかった。ちょうどハビヤンが神儒仏キリシタンを並べて「どれを選択すべきか」と言うのが伝統になった。明治とて現代とて、実はこの伝統の延長線上にあるのであって、それからはずれているわけではない。ただ両方から自由自在に取り入れるということは両方から異端視されるという結果にもある。
(中略)
 日本は朱子学的東アジアの異端であり、同時に西欧キリスト教文化の異端であった。それが日本を発展させたが、同時に「異端の罪は異教の罪より重い」という宿命を負わざるを得なかった。それを最も強く感じていたのが「江湖の野子」不干斎ハビヤンであったろう。彼の長い沈黙の如く、日本は沈黙しつつ発展せざるを得なかったのである。

山本七平『日本人とは何か』


 本書は外国人に日本について疑問に思っても、日本人が答えに詰まってしまうような、しかしグローバル化する世界の中で答えられなければならない「日本人とは何か」という知識を提供しようとするもの。

 副題にもあるとおり古事記や日本書紀といった神話から明治維新にいたるまでの日本史を振り返っていく。ページ数も800を超えるボリューム。

 そこで著者は陸奥宗光の父親である紀州藩士伊達千広の「大勢三転考」を参照し、日本を三つの時代区分に分ける。いわゆる氏姓制度がしかれていた「骨(かばね)の代」、科挙抜きの律令制度を取り入れた「職(つかさ)の代」、そして武家が政治の実験を握った「名の代」である。

 著者が「大勢三転考」を取り上げるのは、明治維新に直面した伊達千広が、日本人とは何かという問いを立て、色眼鏡を通してではなく純粋な好奇心から日本の歴史を直視したからだという。
 本書の基本的な考えかたは、今ここにある日本人も奇跡のように急に現れたわけではなく、歴史をたどることでそのつながりが見えてくるというものだろう。

 今まで読んできた著作とは異なり、日本人が肯定的に描かれることが意外だけれど少し嬉しい気がしてしまうのも確か。全く知らない話題が次々に出てきて楽しめる。

 多数決による結論が往々にして誤ることがあったとしても、神を前に自らの理非による判断を下し、それを神聖なものとして従うというものだったというのは意外だった。

 また日本は「タテ社会」であるのも確かだが、横の関係はきわめて平等的で、上の人間もそれを無視して行動することができないどころか、その顔色を窺わなければならないこともしばしばあったというのもなるほどと思った。

 特に江戸時代はより現代に近づいてくるのでおもしろい。開墾を行うにも限界があり、商人の勢いは投資先を求め鎖国の維持を不可能にし、都市で内職を強いられた武士、精巧な不定時法の時計を作り出すほどの腕をもった職人たちは工業化にスムーズに移行していった。

 これだけ興味深い話題を豊富に持ちながら、「ご参考までに、どうぞ」とするだけでよいとする締めもとてもいいなと思う。

 もちろんよい面ばかりではなく、他の文化からいいとこどりをしようとする日本人が外から見れば容易に理解されないというのも印象的だった。

「異端の罪は異教の罪より重い」という言葉を心にとめておきたい。
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