深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
山本七平『洪思翊中将の処刑』
洪思翊中将の処刑〈上〉 (ちくま文庫)洪思翊中将の処刑〈上〉 (ちくま文庫)
(2006/10)
山本 七平

商品詳細を見る
洪恩翊中将の処刑〈下〉 (ちくま文庫)洪恩翊中将の処刑〈下〉 (ちくま文庫)
(2006/10)
山本 七平

商品詳細を見る

 誤解を生ずる言い方だが、洪中将は生涯、一種の仮面をつけていたと言える。もちろん仮面の内側はその人の本当の顔に密着していなければ真の仮面ではない。たとえば、あのアルジェリア戦争のとき、敬虔なカトリック教徒であり同時に悪名高い降下部隊の体長であったマッシュ将軍、あのドゴールかつぎ出しのアルジェリア右翼の主役がその本心をあかした相手は、彼の懺悔を聞いた司祭だけであっただろうと言われている。事実、彼は仮面をはずすことができない。もしその本心をあかせば、コロンが蜂起して現地人と衝突し、いかなる動乱が起り、どのような流血の第三次が起るかもしれぬ。同時に外人部隊をはじめとする諸部隊は、一斉に離反してその側につき、手のつけられぬ状態を現出するかもしれぬ。従って彼は最強硬派の仮面をかぶり、悪名高い弾圧を行い、それで現地フランス人の信望を得つつ、一方では極秘裏に平和的収拾を計り、内心ではこれ以外に方法がないと信じている。だが仮面は絶対にはずせず、そのため世界中の批判を一身にあびても平然とこれに耐えねばならない。そしてもしその仮面が断罪されるなら、それがいかなる断罪であれ、仮面をあくまでも自分の真の顔として、黙って断罪されねばならない。そのとき言いわけはあり得ない。その仮面もまた仮面として行動した責任があり、「あれは仮面で自分の本心はこうでした」という釈明では免責にはなり得ない。だがこのことの意味をわれわれ日本人は本当に理解しているのであろうか。――人間が責任を負うのは仮面に対してであるということを。

山本七平『洪思翊中将の処刑』


 wikipedia の山本七平の項によると、「現人神の創作者たち」と並んで著者が最も力を入れた作品とされている。

 本書は朝鮮人でありながら陸軍士官学校を経て帝国陸軍で中将にまでなり、フィリピンの捕虜収容所の所長に赴任し、戦後まもなく捕虜虐待の責任者として処刑された洪思翊の生涯を描いたもの。

 私のような人間にとっては帝国陸軍に朝鮮人の中将がいたこと自体が驚きで、そこに何か不正があったのでは勘繰ってしまう。

 しかし洪中将は創氏改名を最後まで拒み、祖国の独立運動を行う人間たちの援助まで行っていたという。そして中将と接した人でその人格を称えない人はいないという。

 そんな中将が戦犯裁判では沈黙を貫き通し、甘んじて責めを受け容れていったのか、その謎に迫っていく。
 まず著者は洪中将が帝国陸軍の軍人になる経緯を関係者の証言からたどり、洪中将の人となりを描き出す。

 おもしろいのは朝鮮の人々の矛盾に対する考えで、アメリカや日本では矛盾があればそれは無意味とするが、そこに時間的な捉え方をし、すぐに無意味と捨ててしまうことはないという。


 著者は次に例のごとく、膨大な裁判記録を引用しながら、裁判で中将が有罪とされた理由を探る。

 そこで明らかになるのは権限と責任が明確なアメリカの組織と責任の所在がどこまでもあいまいな日本的「無責任体制」という二つのグロテスクともいえる組織と、そのお互いの違いに対する理解の困難さだった。

 アメリカ的な発想でいけば収容所長となれば捕虜の待遇に関してあらゆる権限と責任を持つ。一方日本では、他部隊に移った人間はその部隊の指示下に入り、それに口を挟めば抗命罪として処分されてしまう。

 しかしアメリカ側にこの点を論理的に説明できる人間はおらず、裁判は混乱を極める。そして洪中将が直属の捕虜以外に対してごく限られた権限しかもっていなかったにも関わらず、全ての責任を負う形で「冤死」することになる。

 日本では「全ての責任をとって」という人物を美談として称えるが、これは責任の所在があいまいな「無責任体制」だから起こりうる現象であり、これを倫理的に称賛することは「無責任体制」を支持することになってしまうという指摘にはなるほどと反省させられた。


 そして最後に著者は、「なにも悪いことはしていない」と感じながら静かに死に赴いた中将の内面に迫っていく。

 洪中将は最後に詩篇51篇の朗読を要請し、聖書に精通していたことから、著者は彼がキリスト教徒であった可能性を指摘している。

 たとえそのつもりはなくても人は罪をおかしてしまうことがある。そのときに人ができるのは神の赦しを請うことだけだと、著者があえて中将の行動を説明するくだりは感動的だった。


 著者が「書きたいものを書いた」というだけあって、序盤は読みにくく思うところもあったけれど、読み出したらとまらなかった。

 洪中将をめぐる裁判のやきもきする展開、なかなか知ることのできない中将の魅力的な人格と著者の寄せる共感、そして日本的組織論と信仰などなど、読み応えのある一冊。

「面白い」といっては確かに語弊があるかもしれないがとても楽しかった。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://deepseafishtank.blog123.fc2.com/tb.php/111-c92a5a0d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。