深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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藤井貞和『古典の読み方』
古典の読み方 (講談社学術文庫)古典の読み方 (講談社学術文庫)
(1998/02)
藤井 貞和

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 この七百十二という和を、多いと感ずるか、案外少ないと感ずるか、個人の自由ながら、ともあれ『源氏物語』も一、『逢坂越えぬ権中納言』(『堤中納言物語』の一つ)も一とかぞえての総数である。われわれは古典文学を読むのに、ややもすると『源氏物語』など日の当たる作品ばかりを読もうとする。すぐれた作品だから多くの読者がつくので、『源氏物語』が大いに読まれることに何ら異存はない。何ら異存はないものの、『源氏物語』といえでも知られている七百余りの物語文学の一つであることは知っておいてほしい。七百のうち四割ほど不完全であったり、名前だけ知られたりしているいわゆる散佚物語(失われた物語)である。それでも四百余りの作品は、今日、読もうと思えば読むことができる。そうした作品の数のなかから、選りすぐったものとしてわれわれは『源氏物語』なら『源氏物語』を読むのだ、ということを基本としておさえておきた。
 何を読むかということは、個人の精神の自由と同じほどまったく自由の領域に属することだとしても、ただ漠然と、何でも読んでもよい、という自由ではない。何でもよいから手当たり次第に読む、というのは放恣であって、自由ではなかろう。秩序のない乱読は乱雑な文化人を作りだすだけである。(『古典の読み方』P.43-44)。

藤井貞和『古典の読み方』


 山村修さんの『〈狐〉が選んだ入門書』で紹介されていた一冊。口で言っているだけだけれど、古典も読んでいきたいと思うので読んでみた。

 本書は国文学者として源氏物語などの研究をされながら、詩人としても活動されている著者が古典を読むことについて語っていく。

 以前著者が出された『古典を読む本』という本を文庫化に際し、発表済みの論文を増補したりして編集したもの。
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村松恒平『文章王』
文章王 (プロ編集者による文章上達〈秘伝〉スクール 2)文章王 (プロ編集者による文章上達〈秘伝〉スクール 2)
(2003/12)
村松 恒平

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面白さ、というのは、何でしょう?
ひょっとすると前にも言ったかもしれませんが、たとえば、僕は面白さを「同じ」と「違う」というような二極の往復ということで、単純にとらえています。
歴史小説を読むととくに感じるのですが、二つの感動があると思うのです。
「ああ、こんな行動をするなんて、昔の人も同じ人間だったんだな」ということと、「ああ、こんな行動をするなんて、昔の人の生き方は今の人間とは違うんだな」。
「同じ」「違う」、この二つの相反する方向性が一つの人格、一つの時代、一つの物語の中に凝縮されていて、人を揺り動かしてくる。それが僕にとっては、面白さのベースなのです。
たとえば、完全無欠天下無敵人格完成のスーパーマンのようなものが小説にでてきても、あまり面白くない。
スーパーマンでありながら、普通の人間以上に弱みを持ち、まったく人間的な感情で悩んだりするから、同調した上で、超人的な働きをしたときに、それは自分のことのようにうれしいのです。

村松恒平『文章王』


 前回読んだ『文章上達<秘伝>スクール』がおもしろかったので、その続編である本書を手にとった。

 本書は<秘伝>と同様、著者が主催する、文章に関して問答形式で進むメールマガジンをまとめたもの。

 読者のメールで思わぬ方向に転がる本編もおもしろいが、巻末には著者へのインタヴューが収録されていて、こちらはまとまりがあり、こちらのほうも興味深い。
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村松恒平『プロ編集者による文章上達<秘伝>スクール』
秘伝 〈プロ編集者による〉文章上達スクール (1)秘伝 〈プロ編集者による〉文章上達スクール (1)
(2005/04)
村松 恒平

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書くことにシステムを求めるっていうこと事態がちょっと違うって言い続けてるのは、そういうことなんだよね。
もともと世の中のシステムにうまく嵌れないっていう悲しみが文章になるはずなのに、そこにまたシステムを求めて「お前、何する気や?」と。
もっと、その人が一番孤独になれる場所を探してるはずなのに。自分のオリジナリティはこれなんだ! っていうのを。

村松恒平『プロ編集者による文章上達<秘伝>スクール』


 ここ最近、書評家〈狐〉こと山村修さんの著作をいくつか読んで、少し懐かしい気分になり、文章読本系の本が読みたくなった。そこで以前、知人が薦めていたこちらの本を手にとった。

 文章術の類いは好きで、よく読んできた。本当は、この本に書かれているように、何冊も渉猟して結果的に自分に響くところだけ取り入れる結果になってしまうよりも、一冊に本腰入れて取り組んだほうがいいのだろうけど。

 本書は編集者をしていたという著者が、文章に関する、読者からの質問メールに答えるというメールマガジンをまとめて一冊の本にしたもの。
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ヨーゼフ・ロート『聖なる酔っぱらいの伝説』
聖なる酔っぱらいの伝説 (白水Uブックス)聖なる酔っぱらいの伝説 (白水Uブックス)
(1995/08)
ヨーゼフ ロート

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 その日いちにち、彼は酒場をはしごした。心はすでに安らかだった。要するに奇蹟はいっときのことで、それはとっくに終了した。もはや呼び返すすべがない。とすれば奇蹟以前に立ちもどるまでのこと、落ちぶれるのが身の定め、飲み助であってどこが悪い――しらふにはわかりっこない覚悟だった!――アンドレアスはセーヌの川岸に立ちもどった。この橋の下が終のすみか。

"cite">ヨーゼフ・ロート『聖なる酔っぱらいの伝説』


『果てしなき逃走』というタイトルに魅せられて、図らずもヨーゼフ・ロートという作家の名前を知ることになったことは、だいぶ前に書いた。

 このオーストリア=ハンガリー帝国という故国を失いヨーロッパを転々としたユダヤ人作家の手頃な短編集が、白水Uブックスに入っていると知り読んでみることにした。

 本書には、表題作「聖なる酔っぱらいの伝説」のほかに、「四月、ある愛の物語」と「皇帝の胸像」の全3編が収録されている。「聖なる酔っぱらいの伝説」は映画化されていて、評価も高いようだ。
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金哲彦『3時間台で完走するマラソン』
3時間台で完走するマラソン まずはウォーキングから (光文社新書)3時間台で完走するマラソン まずはウォーキングから (光文社新書)
(2006/12/13)
金 哲彦

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 レース時も呼吸が激しくなればなるほど、吐くほうを意識的に行なうといい。肺を空にせず、中途半端に息を吸おうとすると、前に吸い込んだ二酸化炭素を含んだ空気が残っていて、あまりうまく吸えないのだ。
 呼吸の回数やリズムを気にする人がいるが、回数は走るリズムとスピードによって違うので「△回吐いて×回吸う」と決めつけないほうがいい。
 呼吸には借金と貯金という考え方もある。呼吸をあまり意識せずに急激にスピードアップすると、スピードを上げた瞬間やその直後には、呼吸は激しくならないが、少し時間がたってから、急に苦しくなる。
 これは、酸素を貯金した状態といえる。逆に、これからスピードを上げるとき、あるいは上り坂の手前で、大きく息を吐き、新鮮な酸素を事前に肺に取り入れておくと、苦しくなく走れることがある。これは、呼吸の貯金をしたといえよう。

金哲彦『3時間台で完走するマラソン』


 最近夜中にジョギングなどをする人が増えているという記事を読んだ。私自身も数年前夜中にジョギングを行なっていたことがある。3ヶ月ほど続けたところで、季節の変わり目に風邪をひき、挫折してしまったけれど。

 言い訳としては、日常的に自転車に乗るようになったというのもある。移動手段としての自転車はすばらしいものだし、運動手段としても優秀なのは『自転車入門』はじめ多くの本で指摘されているところだ。

 しかし自転車は効率がよいから一時間以上は走らないともの足りない。またいくらクロスバイクとはいえ雨ざらしは忍びなく、室内から引っ張り出すとなると、ますますちょっと乗るだけではもったいないと思ってしまう。ある程度まとまった時間が欲しい。

 その点、私の場合、3、40分のジョギングでへとへと。十分満足感が得られる。特に必要な器具もなく、お手軽な感じがある。ジョギングと自転車をうまく組み合わせて運動する習慣を根づかせ、体力維持が図れないものかと思い立った。
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山村修『書評家〈狐〉の読書遺産』
書評家“狐”の読書遺産 (文春新書)書評家“狐”の読書遺産 (文春新書)
(2007/01)
山村 修

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 そしてもうひとつは、体の半分は夢まぼろしのうちにさまようごとき九鬼さんこと芥川龍之介の肖像にあるだろう。モデル小説は批評の一形式である。かつて高橋源一郎が、関川夏央と谷口ジローの合作『「坊ちゃん」の時代』を評して、このマンガを読むと、「これ以外に漱石のイメージがもてなくなってしまうぐらい説得力があるのだ」と書いた。
 おなじく、この『蕭々館目録』を一度読んだら、晩年の芥川龍之介について、これ以外のイメージをもつのはむずかしくなる。
 秋だというのに、「麗子ちゃん」をさそって氷イチゴをたべる楽しいひととき。やがて死にゆく芥川の日々から、たとえばそんな小春日和のような時間をすくいあげてみせるところに、この小説にこめた作家の批評がある。その批評ぶりがこまやかである。あざやかである。かなしく、真摯である。

山村修『書評家〈狐〉の読書遺産』


『〈狐〉の選んだ入門書』『遅読のすすめ』は非常に自分好みの著作で、示唆を受けるところも多かった。

 そこで書評家としての山村修氏の作品を読んだことがなかったので、こちらを手にとってみた。このブログは書評と呼べるものではないけれど、この面でも何かの参考になればいいなと思って。

 本書は山村修氏が最晩年に雑誌「文学界」に連載していた書評をまとめたもの。2003年から2006年までのものが収録されている。
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