深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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山村修『遅読のすすめ』
遅読のすすめ遅読のすすめ
(2002/10)
山村 修

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 尾崎一雄の小説を読んでいると、そうした暮しかた、生きかたを発見したのだという自負や覚悟を、ザラリとした手応えとともに感じる。それにくらべると、書生の時間はツルツルしているだけで手応えがない。
 暮しの時間を、自分の手でめぐらせるのか、少なくともめぐらせようとするのか。あるいは、めぐる時間と競争しながら生きるのか。あるいは、時間のことなど意に介さないか。そうした暮しかたがあって、本の読みかたはそれにともなって形をなす。それを無視して月に何冊読めなどというのは、およそバカげたことなのだ。

山村修『遅読のすすめ』


『〈狐〉の選んだ入門書』がよかったので、こちらも読んでみることにした。

 積み上がっていく未読の山、絶えず出版される新刊の波に圧倒され、あとどれだけの本が読めるのだろうと思ったことは誰でもあると思う。

 現実を前にして、手っ取り早く情報を得る速読術がもてはやされ、数をこなしていることがステータスになる。
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犬養道子『旧約聖書物語』
旧約聖書物語 増訂版旧約聖書物語 増訂版
(1977/01)
犬養 道子

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 エレミアのもひとつの特長は、使命を与えた神の前に肩肘を張らぬこと、強がらぬこと、であった。辛いと訴え、「なぜ、なぜ」と神にたずね、父に対する子のごとく、友に対する友のごとく、洗いざらいを示し出す親しみであった。そしてこの点にもまた、彼の使命があったと言ってもよいかもしれぬ。すなわち、神をよそよそしく奉ってしまわず、己が弱さとして、神にすがりつきつつ、わからぬことはわからぬとして訴え訊ねつつ、苦しみを苦しみとして神の前に泣きつつ生きた。幼な子のような正直さである。

犬養道子『旧約聖書物語』


『聖書の常識』を読んだときに少し触れたけれど、旧約聖書は、「ヨブ記」を除けば、『アブサロム、アブサロム!』に挑戦したときに「サムエル記」まで読んだきりだった。

 続きを読みたいと思いながら、聖書はなかなか高価でもあるし、訳もいろいろあったりで、とっつきにくいものを感じていた。そんなとき本書が旧約聖書の全体をつかむのにいいという評判を聞き読んでみることにした。

 以前から名前は知りつつ、そのタイトルから旧約聖書をモチーフにしたフィクションのような気がして、あまり食指が動かされてこなかった。
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山村修『〈狐〉の選んだ入門書』
“狐”が選んだ入門書 (ちくま新書)“狐”が選んだ入門書 (ちくま新書)
(2006/07)
山村 修

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 たまたま向きあって用を足す二人のうちの一人が、もう一人にだまって紙を差しだす。たったそれだけの、なんとも些々たる光景です。詩人に紙をわたした老人も、あえて「好意」からというより、たまたま前に腰かけている男をみて、なんということもなくおのずと動いただけのことかもしれない。しかし私はここを読んで、絶望という言葉の反対語は、希望などというしゃらくさい言葉ではないとあらためて感じました。なにかもっと希薄で、目にみえないヒラヒラしたものをあらわす言葉がふさわしい。それではどんな言葉がいいのか。さんざん考えてみましたが、ついにみつかりませんでした。
 いまの日本でも、ときには――もちろん樽に腰かけて用を足すということではなくて、べつのかたちで――みられる光景かもしれません。しかしその光景のニュアンスをはっきり指示する言葉がない。日本語がない。これは不幸なことです。絶望の対極をあらわす日本語がないかぎり、いまなお、私たちは金子光晴の書いた「絶望」の精神史(それは近代史のゆがみそのものです)の延長戦のうえに生きるしかないのです。

山村修『〈狐〉の選んだ入門書』


 久々にこの本を手にとる。

 3年前、新書を手当たり次第に読んでいた。この本も書店で手にとってみて強い印象を受けた。しかし、小遣い銭が少なく、紹介されている本も当時の関心とややずれていたので、買わずにしまった。
 その直後訃報が流れ、衝撃を受けた。

 著者は司書として都内の私立大学に勤める傍ら、〈狐〉の名で日刊ゲンダイに匿名書評を二十年以上も連載続けた人。

 本書はそんな著者が選んだ「入門書」25冊を紹介したもの。ここでいう「入門書」とはある分野の手引書ではなく、それ自体一個の作品であり、新しい見方を見せてくれる、読書の喜びに満ちたものとしている。
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ランス・アームストロング、サリー・ジェンキンス『毎秒が生きるチャンス!』
毎秒が生きるチャンス! ナリッシュブックス毎秒が生きるチャンス! ナリッシュブックス
(2004/09/29)
ランス・アームストロング曽田 和子

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 死病は、人にふりかかる災難がたいていそうであるように、突然やってくる。予感にもたいした意味はないし、予告もない。ある朝目覚めると、急に肺やら、肝臓やら、骨やらがおかしくなっている、ということになる。だが、死に瀕すると、余計なものはすべて取り払われて戦闘準備がととのい、それから、目からうろこが落ちるように、はっきりとわかってくるのだ。時間は限られている、だから、毎朝毎朝新たな気持ちで目覚め、この日をきちんと生きるチャンスはこの日一日だけだと自覚しなければならない、と。その一日一日を紡ぎ合わせて目的意識と行動力に富んだ人生にしていくチャンスも、これ一回だけと自覚しなければならない、と。

ランス・アームストロング、サリー・ジェンキンス『毎秒が生きるチャンス!』


 いまだにロードレースはあまり観戦したことがなく、よくわからないのだけれど、ランスが現役復帰したり、ツール・ド・フランスで日本人があるステージで5位になったりと何かと話題になっている。

「僕の人生は長くつらい上り坂を上るためにある」というこれ以上ないぐらいぴったりとした、すばらしい言葉を残したランス・アームストロングの『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』。その続編がにあたる著作があると知りと知り、借りてきた。

 この癌を克服し、ツール・ド・フランスで勝利するまでの半生をつづった前作に続き、本書では2003年にツール5連覇を成し遂げ、前人の記録に並ぶまでのランスの活動・考え方がが記録されている。
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米津一成『ロングライドに出かけよう』
ロングライドに出かけようロングライドに出かけよう
(2009/04/11)
米津 一成

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 でもそこからが本番なのだ。全知全能、自分の体力とノウハウを総動員してどうやって走りきるかを考える。どうやってこの「距離」と折り合いをつけるのか。口元まで出かかった「無理」という言葉を飲み込む。
 そう、ブルベはしんどくなってからがおもしろい。そしてそれはぎりぎりの自分を信じられる、自分に肯定的な人だけが楽しめる「大人の遊び」なのだと僕は思うのだ。
 でもそれは、ブルベにかぎったことではない。200kmでも300kmでも、それが自分にとってチャレンジであり、チャレンジする自分に肯定的であれば、誰にでもロングライドは楽しむことができるはずだ。

米津一成『ロングライドに出かけよう』


 私もクロスバイクを購入してから、生活の足はすっかり自転車に変わってしまった。ただ、あくまでも日常用途の範囲で、50kmを超えることはまずない。

 しかし秋晴れの爽やかな天気が続くと、ちょっと遠くまで足を伸ばしたくなる。そんなときに見つけたのが本書。

 本書は遠出・ツーリングどころか、それではもの足りないともっと長い距離を自転車で走ってしまう「距離感が壊れている人」たちを紹介したもの。
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