深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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円地文子訳『源氏物語 巻一』
源氏物語 1 (1) (新潮文庫 え 2-16)源氏物語 1 (1) (新潮文庫 え 2-16)
(2008/08)
紫式部

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 昨日まで、いや、つい今の今し方まであの世の光る君のことを心に偲びつづけてい、そのままお便りのないのを、摘み捨てられた野草の花のように恨めしく、わが身をわびしく情けなく思っていたのであったのに、こうしてひたぶるに恋心を訴えて、弟を仲立ちに文を通わせ、又の逢瀬を契ろうと語らいかけられてみると、女はおし迫ってくる男君のわりない情念が恐ろしく、身を守り門を閉ざす姿勢になるのである。あの若く美しく尊い生れの眩しい人に、かりそめにも恋された喜びに自分はどうしてわれを忘れて酔い痴れられないのか。
 それはただ、伊予の介を恐れたり、世間の聞えを怖じたりするためばかりであろうか。いえそうではない。それだけだったら、自分があんまりみじめでやりきれないだろう。あのことのない前であったら、私は、ただそれだけのことでも自分を守る盾にしてその陰に必死に身を隠したかもしれない。でも今の私はあの方を知ってしまった。この世には、このようにも美しく、あでやかに、匂いみち、光り満ち、時に明らかな憎悪や苦痛を伴う激しい闘争さえも、管弦の奏楽の高潮した時のような快い恍惚と麻痺のうちに、冷たい花びらの渦の中に眩暈し、やがて底もなく静まりかえる喜びにいつしか置き替えられる不思議さがあろうとは、あの世まで誰が思いもうけただろうか。
 私は、私にあのような花渦の中の眩暈をみせて下さったあの方を明らかに恋しはじめている……恋しているからこそ、あの方のおっしゃるようにやすやすと振舞えないのではないか。

円地文子訳『源氏物語 巻一』


 今年は古典に挑戦したいなあという目標をかかげながら、もう師走も終わり。一方で、今年は源氏物語1000年紀ということで各所で源氏物語の特集を目にすることも多かった。

 なかでも「あさきゆめみし」のアニメ化というニュースには期待がふくらんだ。結局「あさきゆめみし」自体のアニメ化は沙汰やみになったものの、とにもかくにも流行に後れまいと積読になっていた円地源氏を読み始めることにした。
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中島義道『カントの読み方』
カントの読み方 (ちくま新書)カントの読み方 (ちくま新書)
(2008/09)
中島 義道

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 以上の、事情から、カントを読むには特殊技術は要りませんが、技術以前の心構えが必要だと言えましょう。

(一)わからないところは「わからない」と認め、けっしてわかったつもりにならないこと。
(ニ)絶えず「こういうことではないか」という仮説を立ててみること。
(三)その仮説にしたがって、他の所も総合的に読めるか否か確認すること。
(四)常識を大切にすること。常識に反した議論に直面したら、それを「高級なこと」だとは考えずに、「ヘンだ」と考えること。

中島義道『カントの読み方』


 ふと中島義道氏の新しい著作が目に留まったので読んでみることにした。氏の著作は『時間を哲学する』以来。

 本書は多くの人がカントの『純粋理性批判』に取り組みながら挫折していくのは当然だとし、なぜ『純粋理性批判』が難しいのかという点を洗い出しながら、カントの自我論を読み解いていくもの。

 氏には『カントの自我論』という本がすでにあるが、このちくま新書版では次の点が異なるという。カントは『純粋理性批判』の初版が誤読されたことで、第二版では大幅に手を加えた。前著では第二版を基にしたのに対し、本書では初版をベースにしたとしている。

 カントを読んでいても自然と個人的な問題意識が反映していくものであるが、本書はできるだけ素直に『純粋理性批判』を読もうと試みたものだという。
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内田樹『私家版・ユダヤ文化論』
私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)
(2006/07)
内田 樹

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 これらの一連の現象に通底しているのは、夾雑物なき純良な国民国家のうちに国民が統合されていることが「国家の自然」であるという日本人の願望(あるいは妄想)である。そのような単一体として国民国家を想定する人々は、国民国家が複数の流動的要素がたまたま一時的に形成している過渡的な「淀み」のようなものであり、いずれ時が来れば、生成した時と同じように解離してゆくものだという、通時的な流れのなかで政治過程を理解することを嫌う。国民国家というものはソリッドで「万世一系」の単体でなければならないという前提の妄想が、入力と出力がペニー硬貨とガムのように対応する「閉鎖系」を要請するのである。
 ここまでわかったことの一つは「ユダヤ人から見た日本の歴史」は「日本における反ユダヤ主義の歴史」と同義だったということである。今一つは、日本における反ユダヤ主義は情報の欠如によって発生したものではなく、むしろ欲望の過剰が呼び求めたものだということである。
 本書の冒頭に私はこんな問いを置いた。「日本人はユダヤ人という観念を手に入れることによって、何を手に入れようとしたのか?」。私はこの問いにとりあえず近似的な回答のようなものを提出できたのではないかと思う。
 明治期の「日猶同祖論」を通じて日本人が手に入れようとしたのは、「聖史的=霊長的子種」ゆえの受難という「物語」であった。この「物語」によって日猶同祖論者たちは世界史的な通用性がある(ように彼らには信じられた)「血統神話」を手に入れた。大正期の近代反ユダヤ主義を通じて日本人は陰謀史観という「閉鎖系の政治学」を手に入れた。

内田樹『私家版・ユダヤ文化論』


『健全な肉体に狂気は宿る』でよくも悪くも強烈な印象を残した内田氏。その代表作かなと思われる本書を読んでみた。

 やはり普通に生活しているだけでも、「ユダヤ陰謀論」に出くわすことはままあって、ユダヤ人には少なからず関心があった。

 本書はユダヤの文化を語ったものというよりも、「なぜ、ユダヤ人は迫害されるのか」という問題に取り組み、その背景にある理由を探るもの。
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内田樹、春日武彦『健全な肉体に狂気は宿る』
健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 (角川Oneテーマ21)健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 (角川Oneテーマ21)
(2005/08)
内田 樹春日 武彦

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 未来に向かって開かれているというのは、未来の可能性を列挙して安心したり不安がったりするということではなくて、一瞬後には何が起こるかわからないという覚悟を持つことだと思うんです。ですから、「取り越し苦労をするな」というのは、楽観的になりなさい。ということでは全然なくて、「何か起こるかわからない」のだから、全方位的にリラックスして構えていないと対応できないと、いうことなんですね。

内田樹、春日武彦『健全な肉体に狂気は宿る』


 内田氏のネットでの若い世代向けの発言はちょっと説教じみていて、私にとっては辟易してしまうところが少なくない。

 ただこの本は「生きづらさの正体」という副題がついていて惹きつけられるところがあり、対談ということで読みやすいそうなので手にとってみた。

 本書はフランス文学者の内田氏と精神科医の春日氏が「カンヅメにされて」一気に行われた対談が収録されている。
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神野直彦『財政のしくみがわかる本』
財政のしくみがわかる本 (岩波ジュニア新書)財政のしくみがわかる本 (岩波ジュニア新書)
(2007/06)
神野 直彦

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 一九二〇年代も八〇年代も、日本の政府は「民主主義はどうなるのか」ということは考えませんでした。最近では「地方債にしても市場の統制が重要なのだ。市場に統制してもらったほうがいい」と、ものごとの原点をとりちがえています。民主主義が崩れてしまうことが目に見えているのです。
 市場では、人びとは購買力に応じて発言力をもっているので、金持ちの言いなりになることになるからです。「それは民主主義ではない」と言わなくてはいけないのに、マスコミも国民もいっせいに、「市場の声に逆らわないことがいいことだ」と言っていることに、私は民主主義の危機を感じています。

神野直彦『財政のしくみがわかる本』


 2011年までにプライマリーバランスの黒字化を達成するという目標も事実上断念ということで、日本の財政はどうなってしまうの? ということで手にとってみた。

 本書は国の財政、地方の財政、家計はそれぞれどう違うのか、財政の歴史的な意味、税金の使い道、現在の日本財政の問題点などに触れながら財政や税のしくみをやさしく解説した一冊。

 しかしその一方で著者の考えがストレートに出てくる。市場に任せてよい部分と政治によって分配を行う部分をきっちり分けるバランスを重視する立場に立つ。

 当然、市場原理にその分配を委ねようとする新自由主義的な政策には批判的で、特に小泉政治には手厳しい。その面で合わない人はいるかもしれない。
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