深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女よ』
夜は短し歩けよ乙女夜は短し歩けよ乙女
(2006/11/29)
森見 登美彦

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 それを見た私の驚きをご推察頂きたい。
 私はその絵本を奪い取り、舐めるように見た。そして樋口氏から、彼女がその絵本を追い求めて古本市をさまよっていたことを聞いた切な、「千載一遇の好機がついに訪れた」と直感した。今ここに一発逆転の希望を得て、ついにふたたび起動する私のロマンチック・エンジン。
 彼女と同じ一冊に手を伸ばそうなどという幼稚な企みは、今となってはちゃんちゃらおかしい。そんなバタフライ効果なみに迂遠な恋愛プロジェクトは、そのへんの恋する中学生にくれてやろう。男はあくまで直球勝負だと私は断じた。
 彼女が幼き日、まだあどけない顔をして、無心にその名を書き入れた絵本そのものが目前にある。懐かしさのあまり彼女を悶絶させるこの絵本こそ、天下唯一の至宝であり、かつ私の未来を切り開く天与の一冊となるだろう。これを入手するということは、もはや彼女の乙女心を我が手に握ることに等しく、つまりそれは薔薇色のキャンパスライフをこの手に握ることに等しく、さらにそれは万人の羨む栄光の未来を約束されることに等しい。
 諸君、異論があるか。あればことごとく却下だ。
 私は勝利を求めて咆哮した。

森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』


 昨年の本屋大賞で2位になったということで、ネットでもよく話題になっているのを見かけた本書。ふと目に留まった装丁に惹かれて読んでみることにした。

 本書は京都を舞台に、黒髪の乙女と彼女に恋する大学の先輩の二人を語り手に据え、多くのエキセントリックな人物をまじえながら描いた連作短編恋物語。

 舞台は現代の京都のようだが、大正浪漫を思わせるレトロな文体で、好みがはっきりとわかれそうな独特のものになっている。
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サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』
真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)
(1989/01)
寺門 泰彦サルマン・ラシュディ

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 現実とは遠近法の問題である。過去から遠ざかれば遠ざかるほど、それはいっそう具体的な、真実らしいものに見えてくる。だが現在に近づくにつれ、それはどうしてもますます信じがたいものになってくるようだ。大きな映画館で、はじめに後列に坐り、それから一列ずつ前方に進んできて、スクリーンに鼻をくっつけそうになるところまで行くとしよう。次第にスターの顔は分解して、踊る光の粒子になってしまう。細部がグロテスクなまでに拡大される。幻影が分解する――というよりも、幻影こそが現実であることがはっきりしてくる……一九一五年からスタートして五六年までやって来たので、かなりスクリーンに近づいたわけだ……このへんで比喩はやめよう。そして恥の意識を捨てて、自分の信じがたいような主張を繰り返すことにする。洗濯箱のなかの奇妙な出来事のあと、私は一種のラジオになったのだ、と。

サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち 上』


 かつて新古書店で見つけ積読になっていた本書だが、最近になってベスト・オブ・ブッカー賞に選ばれたと聞き、慌てて埃を払って読み始めた。

 様々な事件を引き起こし、自身も命を狙われることになった「悪魔の詩」の作者、インド系イギリス人のサルマン・ラシュディ氏。

 インド独立の日の真夜中に生まれたサリーム・シナイを語り手に、彼の祖父の時代から一家に起こった出来事がインド、パキスタンを舞台に語られていく。

 サリームは幼少時の事故からテレパシー能力を獲得し、ほぼ同じ時刻に生まれ特殊能力を持つ「真夜中の子供たち」と交信することができるようになるなど、魔術的リアリズム的な作品。
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中村元、三枝充悳『バウッダ』
バウッダ―仏教 (小学館ライブラリー (80))バウッダ―仏教 (小学館ライブラリー (80))
(1996/03)
中村 元三枝 充悳

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 以上に記してきたように、苦と、苦の本質とは、もともと自己そのものに根ざしており、それが自己矛盾・自己否定としてはたらくところにある。いってみれば、自己は、自己の最大の味方であり、同時に最大の敵でもある。自己はこうしてつねに自己と戦う。それは、なんびとにとっても避けられず、逃れることができない。生まれてきたものは、すべてそれをア・プリオリ(先天的)に自己の内にもっている。逆に、そのようにもっているということが、そのものを動かし、生かしている。安易で、放縦な、自己肯定・自己満足・自己安住などというものは、実はどこにもあり得ず、それらは蜃気楼や空中の楼閣に似て、たとえ存在するとしても、現実には死に果ててミイラと化した屍にすぎぬ。
 つねに苦はある。苦にぶつかる。一切が苦である。すなわち、自己が外へ、あるいは内へと向かいつつ、究極的には自己に集注して、その自己に背き、矛盾し、自己否定に陥らざるを得ないところにこそ、自己は模索し、努力し、精進を怠らない、それが「生きる」ということ、そのものなのである、と釈尊は説く。

中村元、三枝三悳『バウッダ』


 以前、中村元さん訳の『ブッダのことば』を読んだことがあり、仏教の入門書を探していて見つけた一冊。

 何だろうと思わせるタイトルは、サンスクリット語で「ブッダを信奉する人」を意味するという。

 本書を手にとるきっかけになった中村さんは、仏教の基本である三宝の解説と宗教と哲学の言葉の違いにとらわれすぎる危険を説いた『「宗教」と「哲学」の意義』という章を担当しているだけで、残りの4分の3は三枝さんの筆になる。
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山本七平『「常識」の研究』
「常識」の研究 (山本七平ライブラリー)「常識」の研究 (山本七平ライブラリー)
(1997/05)
山本 七平

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 人間は千差万別である。親子ですら同一ではない。ということは教師も千差万別である。それは、制度を物神化し固定化し、山のように通達を送りとどけることで解決はしない。その制度にはあらゆる「風穴」があってよい。それなのに、制度を生徒の基本的人権・生存権に優先させ、アジュール法的な「風穴」さえ否定され、「いじめによる自殺」を黙殺するなら、それはもはや「教育以前」の基本的人権・人格権・生存権の問題である。いかなる国家も、またその省庁も人間の生存権より制度を優先させる権利はない。

山本七平『「常識」の非常識』より


 近くの某新古書店では『「常識」の非常識』の文庫本をよく見かけた。買って読んでみたところやはりおもしろく、急いでライブラリー版を借りてきた。

 このライブラリー版には『「常識」の研究』、『「常識」の非常識』、『「常識」の落とし穴』の常識三部作が収録されている。

 私たちの行動規範である常識。常識は社会が大きな変化を遂げたとしても、行動規範が変わらなければ人々の生活はすぐに元に戻っていく。
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清水香『こんな時、あなたの保険はおりるのか?』
こんな時、あなたの保険はおりるのか?こんな時、あなたの保険はおりるのか?
(2006/12/01)
清水 香

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 ところが、一般的な傾向として、死亡や入院については公的制度が充実しているにもかかわらず、さらに民間の保険で手厚く保障する人が少なくありません。その一方、自然災害への備えについては、あまり保険を意識せず、入っていてもその内容をよく知らない人が多いようです。
 繰り返しになりますが、家計では対処できないほど大きな経済的リスクに自力で対処しなければならないときに威力を発揮するのが保険です。目先の「ソン・トク」ではなく、家計を万が一の経済的リスクから守るために、支出すべき必要なコストかどうかを、クールに計算することが大切です。

清水香『こんな時、あなたの保険はおりるのか?』


 給与が上がらないといわれる中、食料品や燃料の高騰するなど家計の見直しを迫られる家庭も多いかもしれない。

 そんな中、目をつけたのが保険。そもそもなんとなくで加入した保険を内容もよくわからないまま保険料を払い続けているのも何だかなあという思いがあり、本書を手にとってみた。

 本書は表題どおり、どんな場合に保険が降りどんな場合に降りないかをQ&A方式で取り上げながら、保険に加入する際に気をつけるポイントや考え方をまとめたもの。
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河村健吉『自転車入門』
自転車入門―晴れた日はスポーツバイクに乗って (中公新書 1926)自転車入門―晴れた日はスポーツバイクに乗って (中公新書 1926)
(2007/12)
河村 健吉

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 ギア比は前と後ろのギアの組み合わせで、ペダルを一回転させると後輪が何回転するかをあらわす。ギア比が1ならペダルを一回まわせば後輪は一回まわり、ギア比が2ならペダル一回転で後輪はニ回転する。ギア比2はギア比1よりペダルが重くなり漕ぐ力がいるが、同じ回転数なら早く走れるので距離もかせげる。
 ギア比は次のように計算する。
 ギア比=クランクのギアの歯数÷後輪のギア歯数

河村健吉『自転車入門』


 ガソリンの高騰のせいか、私の住む地方でも自転車に乗る人をよく見かけるようになった。そんな私も車を購入・維持する甲斐性はなく、自転車に関心を持っている。

 本書は60歳を間近に退職をし、コンサルタント・著述業の傍ら運動不足のために始めた自転車にのめりこんだ著者が書いたスポーツ自転車の入門書。

 そういったわけで想定読者はいくらか高め。とはいえ、いくらかディレッタント的な感じがする面はあっても、自らの体験を語りながら基本的な知識を与えてくれるので読みやすい。
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ピーター・ドラッカー『明日を支配するもの』
明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命
(1999/03)
P.F. ドラッカー

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 これまでの社会は、いかに個を尊重するにせよ、あくまでも次の二つのことを当然とする社会だった。すなわち、第一に、組織は、そこに働く者よりも長命であって、したがって第二に、そこに働く者は組織に固定された存在であるということを当然としていた。ところが、自らをマネジメントするということは、これと逆の現実にたつ。働く者は組織よりも長命であって、知識労働者は移動する存在である。
 すでにアメリカでは、働く者が組織から組織へ動くことは、一般化した慣行である。しかしそのアメリカでさえ、働く者が組織より長命であって、したがって第二の新しい人生の用意が必要などということは、誰にも心構えのできていない革命的な変化である。退職制度を含め、既存のいかなる制度も想定していなかった事態である。アメリカ以外では、今日にいたるも、働く者は組織を動かないことが前提とされている。これを安定と称している。

ピーター・ドラッカー『明日を支配するもの』


『ネクスト・ソサエティ』がおもしろかったので、時期の近い、21世紀を展望した本書を手にとってみた。

「本書は、行動への呼びかけである」という言葉どおり、大きな変化を前にして「あなたはどうするか?」と問いかけてくる。

『ネクスト・ソサエティ』が各所で発表されたものを編集したもので読みやすかったのに対し、本書は少し読みにくさは感じるがよりまとまっているように思う。
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ピーター・ドラッカー『経営者の条件』
新訳 経営者の条件 (ドラッカー選書)新訳 経営者の条件 (ドラッカー選書)
(1995/01)
P・F. ドラッカーPeter F. Drucker

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 いかに肩書や地位が高くとも、努力に焦点を合わせたり、下に向けての権限を重視する者は、ほかの人間の部下であるにすぎない。これに対し、いかに若い新入りであろうとも、貢献に焦点を合わせ、結果に責任を持つ者は、最も厳格な意味において、トップマネジメントである。組織全体の業績に責任をもとうとしているからである。

ピーター・ドラッカー『経営者の条件』


 引き続きドラッカーを読んでいる。タイトルは「経営者の条件」だけれど、訳者解説によると原題は「できる人」という程度の意味らしい。

 本書の内容はセルフ・マネジメントについて。古さは全く感じさせない興味深い内容で、自己啓発書としても優れていると思う。

 だからタイトルで損をしているかもしれない。経営者というと企業のトップをイメージしてしまうけれど、本書の対象はもっと広い。もったいない。

 エグゼクティブは成果に焦点化をしなければならない。そして成果を上げる能力は努力によって身につけることができる。そしてそれを習慣化するとこまで持っていく必要がある。こういった観点から成果を上げる方法、それを妨げる障害の分析が行われている。
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間宮陽介『市場社会の思想史』
市場社会の思想史―「自由」をどう解釈するか (中公新書)市場社会の思想史―「自由」をどう解釈するか (中公新書)
(1999/03)
間宮 陽介

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 われわれは、思想というものはある特定の問題に対する一つの解答であることを、ともすれば忘れがちで或る。解答命題のみを思想とみて、その命題を生み出したところの問いを不問に付す。あるいは問いを問題にする場合でも、その問いを特定の問題状況における特定の問いとしてよりは、一般的・普遍的な問いとして捉え、この一般的・普遍的問いにうまく答えたか否かによって、思想の優劣を判定しがちである。最先端の思想は過去の思想に優ると考え、最先端の思想をもって過去の思想の不満をあげつらう。いわゆる現在中心主義の歴史観は、問いについてのこのような見方に起因するといっていいだろう。ポストモダニズムをもってモダニズムの思想を一刀両断に断罪しようとする最近の風潮も現在中心主義の一例である。

間宮陽介『市場社会の思想史』


『物語 現代経済学』に続いて新書で読める経済学史。

 本書はもともと放送大学の「経済思想」テキストだったという。全15回の講義に沿って、経済学の誕生からケインズ以後までの経済思想がまとめられている。

 あとがきで述べられているように、「問題」に焦点をあてていて、市場の変化の中で生じてきた問題にどのように取り組んできたかという視点がとられている。
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