深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ダグラス・ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』
ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版
(2005/10)
ダグラス・R. ホフスタッター

商品詳細を見る

 幾何学についてはこれくらいにしておこう。数論についてはどうだろうか? 異なる数論がたがいに共存することも、やはり本質的かつ不可欠であろうか? 銀行員にこんな質問をぶつけたら、恐怖にふるえだし信じられないという返事が返ってくるのではないか。2足す2が4以外のものにどうしてなれるのだろうか? またさらに2足す2が4にならないとしたら、その事実によって明るみに出た耐えがたい不確実性のもとで、経済はただちに崩壊してしまうのではなかろうか? 実はそうではない。まず第一に超準的理論は古くからの2足す2は4という考えを脅かしたりしない。それがふつうの数論と違うのは、ただ無限の概念を扱うしかたについてだけである。結局のところ、TNTのすべての定理はTNTのどんな拡張においてもやはり定理である。だから銀行員は、超準的数論が優勢になったとしても大混乱の到来を恐れなくてよい。

ダグラス・ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』


 私が持っているのはリンクを貼ったのとは違う旧版だが、それでも700ページを優に超える大著。

 ブックガイドなど各所で評判を聞いて購入していたものの、その厚さに尻込みしていた一冊。ここ最近、少しずつページをめくって、一応通読。

 本書の内容をまとめるのはとても手に負えない。バッハのフーガという手法、エッシャーの騙し絵、ゲーデルのシステムの自己言及の問題。

 そして各章には、次の章のテーマを先取りするようなアキレスと亀の愉快な対話劇が挿入されるという趣向が凝らされている。
[ダグラス・ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』]の続きを読む
スポンサーサイト
エレディン・シューレディンガー『生命とは何か』
生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫 青 946-1)生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫 青 946-1)
(2008/05/16)
シュレーディンガー

商品詳細を見る

 この例からわかることですが、もしわれわれの感覚がほんの数個の分子の衝突をも感ずるのであったなら、われわれは一体、何とおかしな無秩序な経験をすることでしょう! バクテリアやその他の生物で、はなはだ小さくてこの(ブラウン運動の)現象の影響をひどく受けるものがあります。このような生物の運動は周囲にある媒質の気まぐれな熱運動によって決定され、したがって特定の運動を選ぶことはできません。もしこれらの生物が自分自身に何か運動する力を具えていたなら、一つの場所から別の或る場所へたどりつくことに成功するでしょう――が、それはかなり困難です。というのは、荒海にただよう小舟のように、熱運動によって揺り動かされるからです。

エレディン・シュレーディンガー『生命とは何か』


 名著という噂は聞いていたが、岩波文庫入りしたということで手にとってみた。

 本書は物理学者として有名な著者が、専門外の「生命とは何か」という生物学の領域に物理学の観点からどのように考えることができるかを語った講演集。

 当時はまだDNAの存在が発見される前の時代。けれども著者は遺伝子がどのような存在であるかを推論によって迫っていく。

 生命のように秩序だった存在は大きな体を必要とする。個々の原子は無秩序な動きをするが、何十兆という細胞、無数の原子が集まることで統計的に秩序だったものが生まれる。
[エレディン・シューレディンガー『生命とは何か』]の続きを読む
吉本隆明『情況への発言全集成3』
「情況への発言」全集成〈3〉1984~1997 (洋泉社MC新書)「情況への発言」全集成〈3〉1984~1997 (洋泉社MC新書)
(2008/05)
吉本 隆明

商品詳細を見る

 思想の一貫性と、思想を「死に体」として墨守することとは似て非なるものだ。思想の一貫性を保つためには、「現在」というものとの、生きた絶え間のない対決と、葛藤と、融和しようとするためらいが必要なのだ。それが不可避的に<変化>を強いるものだったら、もちろんその<変化>が許容する範囲で発言していれば安心立命で非難されないなどというのは、宗教であっても思想ではない。まして思想の一貫性などとまったくちがうものだ。もちろん<変化>が不可避的なものになっているか、それともたんなる流行や新しがりにすぎないか、その存在根拠を問われることにはちがいない。だがこの二人の尊敬すべき老文学者に欠けているのは、生きいきとした「現在」の対決の強いる<変化>のなかに、思想の一貫性があるという視点だ。じぶんがおっくうになって「現在」の課題を読みきれなくなったことを、自分たちの思想の一貫性とすり替えないでもらいたいもんだ。

吉本隆明『情況への発言全集成3』


 わかっていないながらも読んできたこの「情況への発言全集成」も最終巻。

 本書には1984年から1997年までのものが収録されている。次第に刊行頻度が落ち、終刊に到るのを追うことができる。

 この第3巻では、埴谷雄高や大岡昇平といった文豪、蓮見重彦、柄谷行人、浅田彰といった批評家など、私でさえ名前は知っている有名な人たちを批判している。

 喧嘩腰な調子は変わらないけれども、やはり時代を経るごとに読みやすくなってきているように思う。
[吉本隆明『情況への発言全集成3』]の続きを読む
ピーター・ドラッカー『ネクスト・ソサエティ』
ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまるネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる
(2002/05/24)
P・F・ドラッカー

商品詳細を見る

 変化を観察することである。しかもあらゆる世界を見ていくことである。そして、それらの変化が本物の変化か、一時の変化か、自分たちにとってチャンスかどうかを考えていくことである。見分け方は簡単である。本物の変化とは人が行うことであり、一時の変化は人が言うことである。話にばかり出てくるものは一時のものである。
(中略)
 個々の事業にとっては、ほとんどの変化が意味がない。よその事業にとっては意味があっても、いまの自分たちには意味がないということはよくある。それらの変化は自分たちの市場を変えず、顧客を変えず、技術を変えない。話題にできるわけだ。ほとんどの変化は関係がない。しかし、それらの変化についてもマークしておく。他の人に読んでおいてもらう。話し合う。覚えておく。五年後何かに取り組んでいるとき、その情報が役に立つことがある。あらゆるものを見ておくことが大切である。

ピーター・ドラッカー『ネクスト・ソサエティ』


『イノベーションと企業家精神』に続いてドラッカー3作目。ドラッカーの最晩年の作品になるらしい。

 本書は文字通り、現代社会が大きな変化に直面しているとし、その社会がどのようなものかを理解し、それに対処しようというものである。

 その変化というとIT革命がまず思い浮かぶけれども、著者が第一に挙げるのが少子化による人口構造の変化だという。これにより移民の確保の必要性や、フルタイムではなくより自由な雇用形態での高齢者の就業が増えるという。

 そして単純労働の雇用を提供する製造業の地位が低下し、大学で学んだ専門的知識を利用して働く「知識型労働者」が社会の中心を占めるようになるとする。
[ピーター・ドラッカー『ネクスト・ソサエティ』]の続きを読む
今野緒雪『お釈迦様もみてる 紅か白か』
お釈迦様もみてる―紅か白か (コバルト文庫 (こ7-58))お釈迦様もみてる―紅か白か (コバルト文庫 (こ7-58))
(2008/08/01)
今野 緒雪

商品詳細を見る

 いつのまにか今野先生の新作が出ていることに気づいて近所の本屋に行ったのだけれど、すでに置いてなく仕方なくAmazonで購入。

「マリア様がみてる」シリーズはどの巻も楽しんで読んできた私でも、前作の「マーガレットにリボン」は伏線を消化しただけで内容が薄く思われ、どうにもだめだった。

 そんな中でこのスピンオフということで不安だったのだけど、そんな不安を吹き飛ばす面白い作品でした。さすが。

「マリみて」に比べると吹っ飛んだ濃いキャラが多く、舞台が男子校ということでほとんど男子生徒しか登場せず、軽くではあるがボーイズ・ラブの要素があるが、そういうところを許せるならば楽しんで読めると思う。

 以下ネタバレ含みます。
[今野緒雪『お釈迦様もみてる 紅か白か』]の続きを読む
ピーター・ドラッカー『イノベーションと企業家精神』
イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集 5)イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集 5)
(2007/03/09)
P.F.ドラッカー

商品詳細を見る

 私も成功した企業家やイノベーターを大勢知っているが、彼らの中にリスク志向の人はいない。通俗心理学とハリウッド映画によるイメージはまるでスーパーマンと円卓の騎士の合成である。イノベーションを行う人たちは小説の主人公のようではない。リスクを求めて飛び出すよりも時間をかけてキャッシュフローを調べる。
 イノベーションにはリスクが伴う。しかしスーパーへパンを買いに行くことにもなにがしかのリスクはある。あらゆる活動にリスクが伴う。だが昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが、明日をつくることよりも大きなリスクを伴う。
 イノベーションは、どこまでリスクを明らかにし小さくできるかによって、成功の度合いが決まる。どこまでイノベーションの機会を体系的に分析し、的を絞り、利用したかによって決まる。まさに成功するイノベーションは、予期せぬ成功と失敗、ニーズの存在に基づくものなど、リスクの限られたイノベーションである。あるいは、新知識の獲得によるイノベーションのように、たとえリスクが大きくとも、その大きさを明らかにすることのできるようなイノベーションである。

ピーター・ドラッカー『イノベーションと企業家精神』


 ドラッカーは何から読み始めていいのかわからないので、『ドラッカー20世紀を生きて』の著作一覧を眺めて、おもしろそうなものを選んでみた。

 本書は文字通りイノベーションと企業家精神について書かれたもの。

 前半でイノベーションの契機を七つに分類して取り上げている。研究開発によるものから、社会の変化、ニッチ、偶然など様々なものがあげられている。

 そして後半では企業家精神を発揮して、そういったイノベーションを実現する方法を考察していく。
[ピーター・ドラッカー『イノベーションと企業家精神』]の続きを読む
吉本隆明『情況への発言全集成2』
「情況への発言」全集成 2 1976~1983 (2) (Modern Classics新書 26)「情況への発言」全集成 2 1976~1983 (2) (Modern Classics新書 26)
(2008/03)
吉本 隆明

商品詳細を見る

「挫折」と「失望」の体験を骨髄に浸透するまで自己検討せずに済まして、またぞろ何か希望あり気な言辞がふりまかれると飛びついてしまうところに問題があるのだ。もし知識人が「挫折」と「失望」と「幻滅」の体験を深化し、これを根拠ある理論として告発し、一般化することができていたら、現在、平然と戦争と殺りくをやったり、軍事的威かくに明け暮れているような<社会主義>の理念は、矯正されているかあるいは自滅しているに違いない。どんな愚考や悪行や殺りくや誤謬にたいしても、先見的な同調さえあれば頭脳や口さきでこれを合理化する論理を造りあげて延命する羽仁老人のような知識人と、ほんとうに「幻滅」や「失望」や「挫折」を深化したことがないために、血眼になって世界中から<貧困>や<飢え>や<戦乱>を探しまわって、同情の依り所をみつけては<安堵>と<希望>をつないでいるわが既成左翼や進歩派とは、絶対的に同一なものである。

吉本隆明『情況への発言全集成2』


 偶然見つけたこの集成。『情況への発言全集成1』に引き続き二巻目読了。

 同人誌「試行」に連載されていた時評を集めたこの集成。第二巻には1976年から1983年までのものが収められている。

 前巻と同じく難しくほとんど理解できているとはいえないけれど、罵倒しまくる勢いはあいかわらずでおもしろい。
[吉本隆明『情況への発言全集成2』]の続きを読む
須賀しのぶ『流血女神伝 喪の女王』
流血女神伝喪の女王 8 (8) (コバルト文庫 す 5-63)流血女神伝喪の女王 8 (8) (コバルト文庫 す 5-63)
(2007/11/01)
須賀 しのぶ

商品詳細を見る

 運命の具現であるリシクは、突如、人の前に現れる。
 そして否応なく、真実を突きつける。その過酷さゆえに不吉とされたが、それは信託を受け取る人間があまりに弱いからだ。
 リシクは、いつも迷わない。常に真実の中にいる。
 タイアスのように苦しみもがき、愛情の鎖をひきずるのではなく、ただ一心に女神を愛し、女神のために生きる。
 女神がどれほど苦しみ、傷つき、変容を遂げようと、そして女神ゆえに自身の翼がもがれ、血を流し続けようと、リシクは翔ぶことをやめない。
 それは、愚かしさではなく、強靭な魂ゆえになせるわざだ。
 だとしたらやはり、全ては女神の思惑通りなのかもしれない。
 タイアスとオルは去り、リシクは残る。全ての出逢いも、別れも、これからも変わらず女神が望んだ通りに動くのかもしれない。
 しかしエディアルドを見ていると、それもまた悪くはないと思えるのが不思議であった。
 彼はきっと、リシクという役割を与えられているだけだと聞いたところで、だから何だと答えるだけだろう。いささかも動揺することなく、おのれの意志のままに行動することだろう。

須賀しのぶ『流血女神伝 喪の女王1』


 最終巻を読み終え、抜けるような青い表紙を見ていると、いろいろな感情が込み上げてきた。3ヶ月に渡って読み続けてきたシリーズもとうとう完結。

「暗き神の鎖」編に続き、流血女神伝シリーズの最後を務める「喪の女王」編全8巻読了。眠る前に少しずつ読んできたが、最後の二巻はとまらずに一気に読んでしまった。

 腹に1000番目のクナムを宿したカリエ、そして怪我から回復したばかりのエドはイーダルの保護を得てユリ・スカナに向かう。平凡に暮らそうと決意するカリエだったが、執拗にその命を狙うバルアン、その力を利用しようとするユリ・スカナの王女ネフィシカなど大国同士の抗争に巻き込まれていく……。

 今回は歴史にそれほど強くない私にも明らかに帝政ロシアがモデルとわかるユリ・スカナ王国が舞台。そしてタイトルの「喪の女王」はエカテリーナ2世を思わせるバンディーカ女王からとられている。
[須賀しのぶ『流血女神伝 喪の女王』]の続きを読む
吉本隆明『情況への発言全集成1』
「情況への発言」全集成 1 1962~1975 (1) (Modern Classics新書 24)「情況への発言」全集成 1 1962~1975 (1) (Modern Classics新書 24)
(2008/01)
吉本 隆明

商品詳細を見る

 この文章は、この三馬鹿連中が露出したがっている<戦争>中に、ヤミ族について書かれたものだぜ。ほんとうに<錆びていない槍>を<幻視>したいのなら、また<戦争>をみたいのなら、わたしたちのなんの変てつもなさそうな日常の周辺を視れば充分である。この<平和>な日常性に<戦争>を視る方法をもたないものが、どこで<戦争>をみつけることができよう。かれらは<戦争>を、銃撃バンバン、斬り込み、ゲリラの槍、とおもいこんでいるのだ。ようするにチャンバラ小説クラスの想像力しかないのだ。<戦争>を体験し、いまはマイホーム父親になりすましている五十以上の男たちに、<戦争>って何だと訊ねてみるとよい。<荷物ばかり背負うこと>、<歩いてばかりいること>……というような、平凡で散文的で、きつい応答がはねかえってくるだろう。自衛隊の幹部軍人などに訊ねてみてもだめだ。かれらは変身の方法を知らない頓馬な<露出した戦争>野郎であり、軍人として三流以下のハリコの虎である。ほんとうに優れた軍人、兵士であったもの、それは、たぶん、無気力なボロカバンを提げて、毎日、近づいた定年をおそれながら、会社に通勤しているような、中老のサラリーマンなどに<変身>しているにきまっている。だからこそ、こういう人々の無気力さに<畏敬>と<怖ろしさ>を視ることができないものには、たぶん永久に<戦争も><革命>も見えるわけがないのだ。

吉本隆明『情況への発言全集成1』


 いつもどおり図書館に山本七平さんの本が並んでいるコーナーに行くと、ふとこのシリーズが目に留まった。

「そっか。『や』と『よ』だからな」と思いながら手にとってみると、値段はやや高めだが新書サイズで手頃。

『ひきこもれ』は興味深く読めたものの、次に何を読むかなかなか決めあぐねていた折柄、いい機会だと思い読んでみることにした。

 本書は雑誌「試行」に連載されていた時事評論を集めたもの。この一巻には1962年から1975年までのものが収録されている。
[吉本隆明『情況への発言全集成1』]の続きを読む
G. ポリア『いかにして問題をとくか』
いかにして問題をとくかいかにして問題をとくか
(1999/07)
G. ポリア

商品詳細を見る

 未知のものは何か,与えられているものは何か,条件は何か.これらの質問は極めて一般的なものであって,どんな種類の問題についてもたずねることができる。それは問題が代数的なものであろうと,幾何学的なものであろうと,数学的であろうと,理論的であろうと実際的であろうと,あるいは又真面目な問題であっても,単なるパズルであっても,それにはおかまいなくこの質問には意味があり,そうして又問題を解くのに役立つであろう.

G. ポリア『いかにして問題をとくか』


 プログラミング関連の情報を調べていて、時々紹介されていたので手にとってみた。

 本書は未知数を導き出す決定問題や証明問題など数学の問題を例に取りながら、どのように問題に取り組み、解法を見つけ出していけばいいのかについて書かれたもの。

 版を重ねているものの、この第11版が出版されたのは昭和50年。文章は硬く漢字も多めで、少し読みにくい。

 しかしその内容は抽象的で広く応用がきくようなものになっていて興味深い。著者がいうように常識的ともいえることが、噛んで含めるように繰り返される。
[G. ポリア『いかにして問題をとくか』]の続きを読む
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。