深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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山本七平『日本資本主義の精神』
日本資本主義の精神 (B選書)日本資本主義の精神 (B選書)
(2006/04)
山本 七平

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 だが、会社種族でない者は、まるで血縁社会における非血縁者のように、そこに何年いようと、生涯をそこで送ろうと、何の権利も認められない。昔、ある出版社に「常勤アルバイト」という制度があった。このアルバイトは社員と全く同じなのだが、十年勤めていても、一片の通告で解雇できた。それは不当解雇でなく、正当解雇なのである。そしてこの差別は当然とされていた。なぜならば、後者は確かに正当解雇だが、前者は血縁集団からの追放に等しく、いわば勘当であり、これはどの社会でも安直にできることではないからである。
 そしてこの種の行き方への反対は、一に、「全員を会社種族とせよ」という反対であっても、「会社種族を解体して全員を同一条件にせよ」ではなかった。すなわち、労働組合の要求も、「機能集団=共同体」への完成へと向かえということだったのである。

山本七平『日本資本主義の精神』


『日本人とは何か』で江戸時代の記述がおもしろく、その時代に育まれたという「日本資本主義の精神」についてもっと知りたく思って読んでみた。

 本書は西洋の資本主義と日本の資本主義が別のものであることを経済の現場にいる人間を実感しながら、誰も日本の資本主義を把握していないとして、その特徴をまとめたもの。

 そしてその資本主義を育んだ思想を江戸時代の思想家、鈴木正三や石田梅岩に求め、最後に日本の資本主義が抱える問題点を洗い出していく。
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スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える』
人間の本性を考える  ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)
(2004/08/31)
スティーブン・ピンカー

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 還元主義には、コレステロールと同じように、いいものと悪いものがある。悪い還元主義(「貪欲な還元主義」あるいは「破壊的な還元主義」とも呼ばれる)は、ある現象を最小の要素やもっとも単純な要素で説明しようとする試みである。貪欲な還元主義は、架空の議論ではない。神経細胞膜の生物物理やシナプスの分子構造を研究することによって、教育や紛争解決やその他の社会問題にブレイクスルー[突破口]をもたらせると信じている(少なくとも補助金をだす政府機関に対してそう言っている)科学者を、私は数人知っている。しかし貪欲な還元主義は、けっして多数派の見解ではないし、なぜまちがっているかを簡単に示せる。哲学者のヒラリー・パトナムが指摘したように、丸い穴に四角い栓ははめ込めないという単純な事実でも、分子や原子という立場からは説明できず、堅さ(栓を堅くしているのがなんであるかに関係なく)や外形といった上位レベルの分析によってしか説明できない。それに社会学や文学や歴史学が生物学で置き換えられると本当に思っているなら、なぜそこでやめてしまうのだろうか? 生物学を化学に、化学を物理学に分解できたとして、第一次世界大戦の原因を電子やクォークの立場から説明しようとしたとする。たとえ第一次世界大戦が、途方もなく複雑なパターンで動く途方もない数のクォークでできていたとしても、そういう記述の方法からはどんな洞察も得られない。

スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える 上』


 NHKブックスでその著作が何冊も翻訳されているスティーブン・ピンカー。前から読みたいと思っていて、ようやく手にとってみた。

 本書は人間が「空白の石版」で生まれ、その後の体験によってどのようにも染まりうるといった考えを徹底的に批判し、人間が持って生まれる本性の存在を示そうとしたもの。

 その背景には、文化の存在や教育を重視するあまり、本来変えようもない問題に対しても改善できるという理想を抱いて突き進むことは危険であり、現実を正しく認識することが重要なのだという問題意識がある。
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山本七平『日本人とは何か』
日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (NON SELECT)日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (NON SELECT)
(2006/07)
山本 七平

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 簡単にいえばハビヤンに見られるように、以後の日本人も、諸宗教・諸思想の中から合理的と思われるものは採用し、不合理と感じたものは捨ててしまった。この点で、朱子学が正統派のようにいわれた徳川時代でも、日本は決して韓国のように朱子学一辺倒ではなかった。ちょうどハビヤンが神儒仏キリシタンを並べて「どれを選択すべきか」と言うのが伝統になった。明治とて現代とて、実はこの伝統の延長線上にあるのであって、それからはずれているわけではない。ただ両方から自由自在に取り入れるということは両方から異端視されるという結果にもある。
(中略)
 日本は朱子学的東アジアの異端であり、同時に西欧キリスト教文化の異端であった。それが日本を発展させたが、同時に「異端の罪は異教の罪より重い」という宿命を負わざるを得なかった。それを最も強く感じていたのが「江湖の野子」不干斎ハビヤンであったろう。彼の長い沈黙の如く、日本は沈黙しつつ発展せざるを得なかったのである。

山本七平『日本人とは何か』


 本書は外国人に日本について疑問に思っても、日本人が答えに詰まってしまうような、しかしグローバル化する世界の中で答えられなければならない「日本人とは何か」という知識を提供しようとするもの。

 副題にもあるとおり古事記や日本書紀といった神話から明治維新にいたるまでの日本史を振り返っていく。ページ数も800を超えるボリューム。

 そこで著者は陸奥宗光の父親である紀州藩士伊達千広の「大勢三転考」を参照し、日本を三つの時代区分に分ける。いわゆる氏姓制度がしかれていた「骨(かばね)の代」、科挙抜きの律令制度を取り入れた「職(つかさ)の代」、そして武家が政治の実験を握った「名の代」である。

 著者が「大勢三転考」を取り上げるのは、明治維新に直面した伊達千広が、日本人とは何かという問いを立て、色眼鏡を通してではなく純粋な好奇心から日本の歴史を直視したからだという。
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アラン『幸福論』
幸福論 (岩波文庫)幸福論 (岩波文庫)
(1998/01)
アラン

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 なぜなら、幸福や不幸のほんとうの原因を深く考える人間は少ないのだから。そういう人間の思惟は源泉にまでさかのぼる。すなわち理性を敗北させる抗しがたい欲望にまでさかのぼるのだ。そういう人たちは富を警戒する。富は追従に弱くなり、不幸な人びとの言うことが聞こえなくなるからだ。彼らは権力を警戒する。権力はそれをもつ者をすべて、多かれ少なかれ、不正にするものだから。彼らは快楽を警戒する。権力はそれをもつ者をすべて、多かれ少なかれ、不正にするものだから。彼らは快楽を警戒する。快楽は知性の光を暗くし、ついには消してしまうから。だからこういう賢者たちは、見かけの立派な袋をいくつもいくつも用心深く裏返してみるだろう。精神の均衡を失わないように、そして輝かしい運命の中で、さんざん骨を折って獲得し保持しているわずかばかりの正しい判断力を危険にさらすことがないように、絶えず気づかうのである。こういう人間は、だれも欲しないような地味を背負っていくだろう。

アラン『幸福論』


 最近読んだモンテーニュがモラリストの一人に数えられる知り、そのつながりでふと思い立って読んでみた。「幸福論」と題されたのは何年か前にヒルティのものを読んだことがあるだけ。

 アランはペンネームで本人は哲学の教師をしながら、新聞に「プロポ(断章)」を寄稿し続けたという。

 翻訳を少し直訳的に感じてしまって読みにくさを感じたが、半分も読むうちに慣れた。目新しさはないけれど、力強い言葉で語りかけてくる。
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須賀しのぶ『天気晴朗なれど浪高し。』
天気晴朗なれど波高し。 (コバルト文庫)天気晴朗なれど波高し。 (コバルト文庫)
(2002/11)
須賀 しのぶ

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天気晴朗なれど波高し。〈2〉 (コバルト文庫)天気晴朗なれど波高し。〈2〉 (コバルト文庫)
(2003/01)
須賀 しのぶ

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「そんなはずねえだろ、あんたは、名門ギアス家のおぼっちゃまだろうが。頭もいいし、洋々たる未来が開けてるってのに」
「その洋々たる未来というのは、誰が決めるんだ?」
 尋ねると、コーアは苦笑した。
「あんた、海軍に入りたくなかったのか」
「入りたくなかった」
「じゃあ抵抗すればよかったのに」
「それも面倒だった。どちらでもよかったんだ。入ろうが入るまいが」
 そう、別にどちらでもいいのだ。いつも、そうやってきた。だから、航海をぶじ終えてネイと結婚しようが、このまま永遠にルトヴィアの地を踏まぬことになろうが、実はたいした差はない。
 たぶん自分は、少しばかりの書物と、紙とペンがあれば、それで充分なのだ。周囲で何か起ころうが、それさえあれば、どうでもいい。
「あんたは本当に、面白い奴だね」
 コーアの言葉に、我に返った。彼の顔は笑っていたが、片方だけのぞく黒い瞳は、決して笑っていなかった。怒りのような、憐れみのような、なぜそんな目で見られるのか、ランゾットにはわからなかった。

須賀しのぶ『天気晴朗なれど浪高し。』


「流血女神伝」シリーズの番外編2冊読了。このシリーズが目に留まったのも実はこのタイトルからだけれど、著者がことわるとおり日露戦争は全く関係なかった。

「砂の覇王」編でガゼッタ海軍の提督となり海賊トルハーン討伐を命じられたランゾット・ギアスとまだトルヴィン・コーアと言う名だったトルハーンの二人が海軍の士官見習いだった頃の話。

 一巻目は海を嫌い小説家になろうとネタばかり探しているギアスの初航海で起こった事件をミステリタッチで描き、二巻目ではその後日譚的としてランゾットの恋が描かれている。
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山本七平『洪思翊中将の処刑』
洪思翊中将の処刑〈上〉 (ちくま文庫)洪思翊中将の処刑〈上〉 (ちくま文庫)
(2006/10)
山本 七平

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洪恩翊中将の処刑〈下〉 (ちくま文庫)洪恩翊中将の処刑〈下〉 (ちくま文庫)
(2006/10)
山本 七平

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 誤解を生ずる言い方だが、洪中将は生涯、一種の仮面をつけていたと言える。もちろん仮面の内側はその人の本当の顔に密着していなければ真の仮面ではない。たとえば、あのアルジェリア戦争のとき、敬虔なカトリック教徒であり同時に悪名高い降下部隊の体長であったマッシュ将軍、あのドゴールかつぎ出しのアルジェリア右翼の主役がその本心をあかした相手は、彼の懺悔を聞いた司祭だけであっただろうと言われている。事実、彼は仮面をはずすことができない。もしその本心をあかせば、コロンが蜂起して現地人と衝突し、いかなる動乱が起り、どのような流血の第三次が起るかもしれぬ。同時に外人部隊をはじめとする諸部隊は、一斉に離反してその側につき、手のつけられぬ状態を現出するかもしれぬ。従って彼は最強硬派の仮面をかぶり、悪名高い弾圧を行い、それで現地フランス人の信望を得つつ、一方では極秘裏に平和的収拾を計り、内心ではこれ以外に方法がないと信じている。だが仮面は絶対にはずせず、そのため世界中の批判を一身にあびても平然とこれに耐えねばならない。そしてもしその仮面が断罪されるなら、それがいかなる断罪であれ、仮面をあくまでも自分の真の顔として、黙って断罪されねばならない。そのとき言いわけはあり得ない。その仮面もまた仮面として行動した責任があり、「あれは仮面で自分の本心はこうでした」という釈明では免責にはなり得ない。だがこのことの意味をわれわれ日本人は本当に理解しているのであろうか。――人間が責任を負うのは仮面に対してであるということを。

山本七平『洪思翊中将の処刑』


 wikipedia の山本七平の項によると、「現人神の創作者たち」と並んで著者が最も力を入れた作品とされている。

 本書は朝鮮人でありながら陸軍士官学校を経て帝国陸軍で中将にまでなり、フィリピンの捕虜収容所の所長に赴任し、戦後まもなく捕虜虐待の責任者として処刑された洪思翊の生涯を描いたもの。

 私のような人間にとっては帝国陸軍に朝鮮人の中将がいたこと自体が驚きで、そこに何か不正があったのでは勘繰ってしまう。

 しかし洪中将は創氏改名を最後まで拒み、祖国の独立運動を行う人間たちの援助まで行っていたという。そして中将と接した人でその人格を称えない人はいないという。

 そんな中将が戦犯裁判では沈黙を貫き通し、甘んじて責めを受け容れていったのか、その謎に迫っていく。
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ジャック・ウェルチ『ジャック・ウェルチ わが経営』
ジャック・ウェルチ わが経営(上) (日経ビジネス人文庫)ジャック・ウェルチ わが経営(上) (日経ビジネス人文庫)
(2005/04/29)
ジャック・ウェルチジョン・A・バーン

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ジャック・ウェルチ わが経営(下) (日経ビジネス人文庫)ジャック・ウェルチ わが経営(下) (日経ビジネス人文庫)
(2005/04/29)
ジャック・ウェルチジョン・A・バーン

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 傲慢な態度が組織を殺す。あからさまに野心を遂げようとする姿勢も同じ結果をもたらす。傲慢さと自信のあいだには明確な一戦がある。本物の自信だけが仕事の成功を約束する。自信があるかどうかは、何ごとにもオープンな姿勢を保っているかどうか――変化を積極的に受け入れ、新しいアイデアをその出所にこだわらずに取り入れる――で判定できる。自信にあふれた人たちは自分の考え方に批判や反論が向けられることを恐れない。アイデアをゆたかにしてくれるような知的論争に喜んで加わる。組織のオープンな雰囲気や学習する能力を生み出すのに決定的な役割を果たす。どのようにして自信にあふれた人たちを探り当てればよいのか。自信のある人とは自分を飾らないでいられる人だ――あるがままの自分が気に入っており、そのあるがままの姿をさらけ出すことを恐れない人だ。

ジャック・ウェルチ『ジャック・ウェルチわが経営 下』


『巨象も踊る』に続いて、こちらもビジネス界の大物の有名な自伝。

 前者が尻上がりにおもしろくなる作品なら、こちらは最初から飛ばしていて読みやすく楽しめる。

 GE社の会長としてウェルチは今ではよく知られるようになっているような経営手法を導入し、巨大企業複合体である同社を高収益体制に変えていく。

 幼年期の著者に多くの影響を与えた母親の教え、プラスチックの技術者としてのスタート、社内の官僚体質との衝突から始まり、GEを去るまでが描かれている。
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須賀しのぶ『流血女神伝 砂の覇王』
砂の覇王〈1〉―流血女神伝 (コバルト文庫)砂の覇王〈1〉―流血女神伝 (コバルト文庫)
(2000/03)
須賀 しのぶ

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 ルトヴィアの聖官たちは、死の間際は、ただタイアスの慈悲だけを望み、タイアスのみもとに呼ばれることを喜ぶようにと説いていた。心安らかにいれば、タイアスの手が差し伸べられる。しかしこの世に強い執着をもっていたり、深い恨みを抱いていると、タイアスに疎まれ、妄執の闇に堕ちて永遠にさまようことになるのだと。
 それでもいいと、カリエは思った。タイアスの慈悲などいらない。どうせ自分は、はじめからタイアスに疎まれているのだ。そうでなければ、これほど次々と災難がふりかかるはずがない。ジィキが言ったとおり、きっとタイアスとは対極の、禍つ神の守護がついているのだろう。だから今さら、タイアスに縋ろうとは思わない。むしろ、喜んで闇に堕ちてやろう。そして、こんな苦しみを与えた全てのものたちに復讐してやるのだ。

須賀しのぶ『流血女神伝 砂の覇王3』


「帝国の娘」編に続き「流血女神伝シリーズ」の「砂の覇王」編全9巻読了。これはおもしろかった。

 前作で生きたいと望み、カデーレを脱出したカリエとエド。あえて治安の悪い道を選んだ二人だが、カリエは一晩を過ごした家の少女サジェの身代わりとして奴隷商人に売られてしまう。

 サジェの家族を斬り、サジェとカリエの身柄を交換しようと追ってきたエドともども、カリエが送り込まれたのは砂漠の国エティカヤ。兄シャイハンと家督をめぐって対立し、その放蕩のゆえに辺境に追いやられた王子バルアンのハーレムだった。

 バルアンに取り入りエドに対する恨みを晴らそうとするサジェを阻止するため、カリエはバルアンの寵を得ようと決意するが……。



「天翔けるバカ」シリーズを読んだときは、オリジナル・キャラクターは弱いのかなと思っていたが、強い性格のキャラが多く登場して楽しませてくれた。
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