深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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上坂信男ら(全訳注)『枕草子 下』
枕草子〈下〉 (講談社学術文庫)枕草子〈下〉 (講談社学術文庫)
(2003/07)
上坂 信男、

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 さて後、ほど経て、心から思ひ乱るゝことありて里にある頃、めでたき紙二十を包みて賜はせたり。仰せ言には、「とくまゐれ」などのたま(は)せて、「これは聞しめしおきたることの有(り)しかばなん。わろかめれば、寿命経もえ書くまじげにこそ」と仰(せ)られた、いみじうをかし。思ひ忘れたりつることを、おぼしおかせ給へけるは、なほ、たヾ人にてだに、をかしかべし。まいて、おろかなるべきことにぞ、あらぬや。心も乱れて、啓すべきかたもなければ、たヾ、
  「かけまくもかしこき神のしるしには鶴の齢とな(り)ぬべきかな
あまりにや、と啓せさせ給へ」としてまゐらせつ。台盤所の雑仕ぞ、御使には来たる。青き綾の単衣〔取らせ〕などして、まことに、この紙を草子に作りなどもてさわぐに、むつかしきこともまざるゝ心地して、おかしと心のうちにおぼゆ。

『枕草子 下』「御前にて人々とも」より


 ようやく講談社学術文庫版の「枕草子」の最終巻。第二一八段から三〇〇段までと一本という補遺が28、そして書名の由来となった跋文が収録されている。

 また巻末には登場人物の一覧と年表、索引などがついていて便利。有名な「香炉峰の雪」のエピソードもこの巻に入っている。

 上に引用したのは「御前にて人々とも」という章段の一節。「よい紙などをもらうと嫌なことも忘れてしまう」という清少納言の言葉を中宮定子が覚えていてくれたことを書いている。

 こういった当時の宮中の様子が活きいきと描かれている文章に特に心が惹かれる。中宮定子の周りは常に笑顔が絶えない。
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上坂信男ら(全訳注)『枕草子 中』
枕草子〈中〉 (講談社学術文庫)枕草子〈中〉 (講談社学術文庫)
(2001/05)
上坂 信男、

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 五月ばかりなどに山里にありく、いとをかし。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて草生ひ茂りたるを、長々と縦ざまに行けば、下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むに、走りあがりたる、いとをかし。
 左右にある垣にある、ものゝ枝などの車の屋形などにさし入るを、急ぎてとらへて折らんとするほどに、ふと過ぎてはずれたるこそ、いとくちをしけれ。蓬の、車に押しひしがれたるが、輪のまはりたるに、近ううちかゝりたるもをかし。

『枕草子 中』


 上巻に続いて講談社学術文庫版の「枕草子」中巻。九五段の「御かたがた、君達、上人など」から二一七段の「月のいと明きに」までが収録されている。

 この巻に収録されているのは、著者の辛辣な批判が出ている章段が多かったように思う。また類聚章段も単語を挙げるだけで終わってしまうようなものも多い。

 そういった意味では、この巻は480ページと一番長いものでありながら、始めのうちはあまり楽しめたとはいえなかった。
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山本七平「聖書の旅」
聖書の常識 (山本七平ライブラリー)聖書の常識 (山本七平ライブラリー)
(1997/11)
山本 七平

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 こういったことは理屈ではない。民族は民族としての心情をもつ。それを外部からおかしいと言っても、雑音じゃないかと言われても、その言葉自体が意味をなさない。従って、彼の心情を持ち得ぬ私が、本物のベドウィンと彼の言葉から別のことを感じても、またそれが、不知不識のうちに彼が予期したであろう共感とは全く別のものであっても致し方あるまい。聖書に関する知識や知識関心なら彼と競うことも共有することもできる。それによって、国境も伝統も民族性も越えて親友になることもできる。だが、あの感動は共有できない。知れば知るほど、それが相互に不可能であることを知る。それを無視して「相手の立場に立って」などと言っても、その言葉自体が無知の表白にすぎないのであろう。私はこの点で、サムの人格的な位置に立つことはできない。

山本七平「聖書の旅」


 この「聖書の旅」は、ライブラリー版の『聖書の常識』に併せて収められているもの。イスラエルの旅行記で、表題作に劣らず興味深い。

 イスラエルを何度も訪れている著者が、聖書ゆかりの地を訪れながら、ユダヤ人の歴史をたどっていく。出エジプトからバビロン捕囚までたどったあと、ヨハネやサロメまでの時代までとび「ユダヤ戦記」に描かれたディアスポラまでが描かれている。

 当時のイスラエルに住むアラブ人やユダヤ人と交流し案内を乞いながら、聖書の時代を往き来する筆からは、著者の感慨が伝わってきて面白い。
[山本七平「聖書の旅」]の続きを読む
山本七平「聖書の常識」
聖書の常識 (山本七平ライブラリー)聖書の常識 (山本七平ライブラリー)
(1997/11)
山本 七平

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 神は全能の癖にちっともこういうことをしてくれない、と人間が不平をいうことは、神を自分のために何でもしてくれる全能の召使いとみているということである。
 こういう見方を不可能にしているのが、ホセアである。全能者とは「敗れることができない」ものでなく――それでは全能ではない――人が神と争って勝ったとき、同時に人は負けているような対象ということである。

山本七平『聖書の常識』


 旧約聖書は『アブサロム、アブサロム!』に挑戦したときに読んだサミュエル記までとヨブ記で止まってしまっているけれど、「『あたりまえ』の研究」がおもしろかったので手にとってみた。

 私が読んだライブラリー版には「聖書の常識」と「聖書の旅」の二篇が収録されている。「聖書の常識」はなかなか日本人が理解していない聖書について解説する聖書学の入門書。

 著者はまず日本人に多い聖書の誤解を挙げている。それは聖書が「一冊の本」であり、宗教書であり、キリスト教の聖典だということ。そういった点を訂正していく形で聖書の基本的な知識をまとめている。

 旧約から新約まで聖書の成立過程やユダヤ人の歴史との対応関係を追いながら、聖書の基本的な考え方や古代ユダヤ人社会の特徴を描いていく。聖書は一種の歴史書でもあるが、その歴史哲学のフィルターがかかっているので、それを読み解く必要がある。

 ここで描かれているのは、旧約と新約が全く別の思想ではなく、ユダヤ人の歴史の中で出てきた陸続きのものだということだと思う。
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スーザン・ジョージ、ファブリッチオ・サベッリ『世界銀行は地球を救えるか』
世界銀行は地球を救えるか―開発帝国50年の功罪 (朝日選書)世界銀行は地球を救えるか―開発帝国50年の功罪 (朝日選書)
(1996/12)
スーザン ジョージファブリッチオ サベッリ

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 ここで私たちが理性的に対処できるのは、貧困とは、世銀がマクナマラ以来捉えてきた、状態ではなく、関係であると指摘することだけである。すなわち、まず何よりも貧困でない人との関係が重要である。そしてまた国家との関係が重要である。そしてまた国家との関係、個人および集団の権利の法的・社会的枠組みとの関係、地域や家族、他の連帯しあえるネットワークとの関係、世界経済との関係、なども重要である。貧困とは、単に個人がどれだけの量を奪われたかの状態ではなく、ある社会における人間の相対的位置を示し、一連の物的・非物的財やサービスをどう利用できるかを表現している。このことが、アマーティア・センのようなすぐれた現代の経済学者が、仕事の全体を通して、権利と権利付与に言及し、貧困層をのみ痛めつける飢餓と飢饉について、「権利付与の失敗」として語っている理由である。

スーザン・ジョージ、ファブリッチオ・サベッリ
『世界銀行は地球を救えるか』



 グローバリズム関連の本が読みたくなって探していて、関心を持ち手にとってみた。しかし、私には少し難しかった。

 本書は南北問題に取り組んでいる著者たちが、世界銀行の全体像を批判的に描き出したもの。歴史や理念、組織の特徴など、その全体像が詳細に描かれている。

 けれども南北問題に世界銀行がどのような役割を果たしてきたかの具体例はあまり触れられず、世界銀行の内実が描かれても今ひとつ興味を持つことができなかった。

 訳者のあとがきを読むと、本書で何度か触れられている『なぜ世界の半分が飢えるのか』や『債務ブーメラン』などの著作から読んでいくべきだったかもしれない。
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上坂 信男ら(全訳注)『枕草子 上』
枕草子〈上〉 (講談社学術文庫)枕草子〈上〉 (講談社学術文庫)
(1999/10)
上坂 信男、

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 七月ばかりに、風いたう吹きて、雨などさわがしき日、おほかたいと涼しければ、扇もうち忘れたるに、汗の香すこしかゝへたる綿衣の薄きを、いとよく引き着て昼寝したるこそをかしけれ。

『枕草子 上』



 この講談社学術文庫版の「枕草子」は三分冊なのだけれど、一段ごと、もしくははある程度の分量ごとに、注と全訳、解説がついているので、こちらを選んだ。

 思っていたよりも難しく、訳のあるものを選んでよかったと思う。特に宮中の行事や格式の知識が欠けていたり、主語がはっきりしないので誰の発言かわからなかったりということが多い。

 上巻には「春は曙」で有名な第一段から第九四段までが収録されている。

 古典の授業では類聚章段をいくつか読んだぐらいだったけれど、改めて読んでみると当時の宮中の生活や恋愛の描かれている部分も面白い。
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脇山怜『海外暮らしの英文手紙』
海外暮らしの英文手紙海外暮らしの英文手紙
(1997/11)
脇山 怜

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『英語の発想がよくわかる表現50』
で紹介されていたので読んでみた。

 内容はオーソドックスな英文手紙の文例集。最初の数ページで手紙のフォーマットを説明した後、さまざまな場面での例を挙げながら解説をしていく。

 婚礼や葬式の手紙からグリーティング・カードといったちょっとした行事に贈るもの、企業への問い合わせやEメールなどもあって幅広い。

 通読してものすごく面白いという本ではないけれども、一通り目を通して手許に置いておくと便利だと思う。
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スティーヴ・エリクソン『黒い時計の旅』
黒い時計の旅 (白水uブックス)黒い時計の旅 (白水uブックス)
(2005/08)
スティーヴ エリクソン

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「それを使うんだ」とおれは大男に言う、でもいったい、誰にその言葉の意味がわかる? ましてや奴に? それとは暴力のことだ。お前の中にある大きな暴力、「それを使うんだよ」。奴は身動き一つしない。目は死んだように濁っている。ハンクスがおれの腕を乱暴につかみ、ブレーンの顔にへべりついたおれを文字通り引きはがす。反クスの顔には狼狽と同様が現れている。ジョンソンも同じだ。ビリーはただただ唖然としている。残りの連中もみなそうだ。でもこんな連中なんかどうだっていい。リオーナ、お前もだ。おれは部屋の反対側に向けてそう叫びたい。おれはいまや暴力のかたまりだ。

スティーヴ・エリクソン『黒い時計の旅』


 各所で評判がよかったので期待していたのだけど、個人的にはもう一つ。読み終えるのに一ヶ月かかってしまった。

 ダヴンホール島の中華街で生まれた白髪の少年マークは二度と戻らないと決心し母親デーニアを残して家を出る。本土との往復船の船長に拾われた彼は、船長の死後、その仕事を受け継ぐ。

 ある日、島へ渡った女を追いかけた彼は、最後に訪れた母親の部屋で死体を見つける。バニング・ジェーンライトというその男の生涯が物語の大半を占める。

 彼は父親がインディアンに生ませた私生児で家族から疎まれてきたが、度過ぎたいたずらから兄を殺し逃亡する。逃亡中にポルノを書くことを覚えた彼は、ヒトラーの雇われ作家となって、その姪ゲリの物語を書くことを強要される……。
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中島義道『「時間」を哲学する』
時間を哲学する―過去はどこへ行ったのか (講談社現代新書)時間を哲学する―過去はどこへ行ったのか (講談社現代新書)
(1996/03)
中島 義道

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 一〇〇億年以上にわたる宇宙論的過去も簡単に了解してしまうのは、やはりわれわれが過去の体験を現に想起できるという一点に行き着く。そして、過去とは現に私が想起していることの全体ではなく、およそ想起可能なものの全体だという了解に行き着くのです。
 なぜ、過去においてはこうした可能性の領域がごく自然に開けてくるのか。それは多分われわれは「忘れる」という現象をよく知っているからです。昨日の光景ですら、ほとんど忘れている。あとで同時刻の写真を見たら、いかに多くを自分が忘れているかを認めざるをえない。
 つまり、「想起」という概念はもともと「忘れる」という概念を含意しているのです。「忘れる」ということは、現に想起している内容が過去のすべてではないということを含意します。過去は現に憶えていることのみならず現に忘れていることも含んだ総体、すなわち「想起可能なものの総体」なのです。

中島義道『「時間」を哲学する』



 先日「はじめての〈超ひも理論〉」という本を読んでさっぱりわからなかったのですが時間に関する部分が面白く、哲学ではどう扱ってきたのかなと思い読んでみました。

 私たちはよく「もうこんな時間か!」という言葉を口にするように、客観的な時間と印象的な時間は往々にしてずれる。こういったところからベルクソンなどの哲学者は何かに没頭して時の経過を忘れる印象的時間こそ本当の時間だと言ってきた。

 しかし著者はそうではないという。客観的な時間を生み出すのは、過去に原因を求める人間の本能的(因果律)な側面だという。

 このように客観的な時間と印象的な時間はずれる。これは客観的な時間を空間的なものとのアナロジーで語ることから生じる誤りであるとする。
[中島義道『「時間」を哲学する』]の続きを読む
阿部謹也『「世間」とは何か』
「世間」とは何か (講談社現代新書)「世間」とは何か (講談社現代新書)
(1995/07/20)
阿部 謹也

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 しかし無常にはそれだけでなく、もう少し積極的な意味がある場合もある。それは世間や世の中のあり方の中で改名すべきなのである。つまり世間や世の中のさまざまな掟に縛られている個々の人間としては、自分なりの生き方をしたいと思っても容易にはできない。人々はそのようなとき、自分の諦念の感情を「無常」という形で表現してきたのである。「世は無常」という形はその表現のひとつなのである。無常についてはこれまでさまざまな解釈がなされてきたが、それらは皆世間や世の中との関係をぬきにして論じられる傾向が強かった。しかし、世間という概念を対象化して初めて、無常についても解明することができるのである。

阿部謹也『「世間」とは何か』


 少し前に訃報を聞いて読もうと思っていたのだがようやく読むことができた。

 ここでいう「世間」とは、明治期に西洋から輸入された、自立した個人が構成する society の訳語である「社会」と対立する言葉として使われている。

 世間とは日本人がその中に入る狭い人間関係の環のようなもので、構成員はそれによって拘束され、長幼の序や贈与・互酬の原理を課せられる。

 著者は「万葉集」から順に日本文学の古典を紐解きながら、そこに現れる「世間」という言葉の使われ方を通して、その実体を浮き彫りにしていく。

 和歌は個人の感情が表出するものであり、著者は「万葉集」の中に個人と世間の緊張感を読み取り、「源氏物語」には宮中といった狭い人間関係を指し、一般社会という意味では使っていないといったことを読み取っていく。
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大矢復『大矢英作文講義の実況中継』
大矢英作文講義の実況中継―高2~大学入試 (実況中継シリーズ)大矢英作文講義の実況中継―高2~大学入試 (実況中継シリーズ)
(2000/11)
大矢 復

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 余談ですが,日本では小学校以来,作文というのは「自分の言いたいことを自由に書きなさい」みたいに「自己表現の手段」として習っていますよね。でも欧米では少し違います。作文というのは「説得の技法」art of persuasion と呼ばれていて,要するに相手を丸め込んで,自分の意見にいかに賛成させるかの手段だと見なされているんですね。ぼくは個人的には,こういう国際化の時代ですから,彼らのやり方に学ぶところは大いにあると思ってるんですよ。

大矢復『大矢英作文講義の実況中継』


 英作文の勉強がしたいなと思い、まずは大学受験参考書から定評のありそうなものを読んでみた。

 三部構成になっていて、一般に想像されるような短い日本語を英語に置き換える問題の対策を行う part1、permit や forgive といった日本語では同じ「許す」となってつまづきやすい言葉のニュアンスの違いを説明する part2。

 そしてさらに英語で自分の考えを述べさせるような自由英作文の対策を述べた part3 と、最近の入試傾向にも対応するような内容になっている。
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山本七平「『あたりまえ』の研究」
「空気」の研究 (山本七平ライブラリー)「空気」の研究 (山本七平ライブラリー)
(1997/04)
山本 七平

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 人間、生活が安定すると保守的になる、これもあたりまえのことかもしれぬ。なにしろ、昨日のように今日も食え、明日もまた今日のように食えるという状態になれば、この状態を維持していこうとするのが、生物としての人間にとっては、あたりまえのことだからである。
 と同時に安定は向上を目指す。といってもこの向上は、リスクのある変革的な冒険を伴わず、絶対安全のうちに、保守的な価値観において自己の生活の水準を上げようという方向に向く。そして社会全体がその方向を向き出すと、それに応ずるさまざまな機構ができていく。(中略)いわば快適な日常生活の継続はこれらの機構の維持にかかわってくるわけで、この維持と維持せねばならぬという意識がまた人びとを保守的にする。(中略)
 いわば、人びとの生活を安定させ、向上させ、それによって保守化させているものは近代かなのだが、一方においてはその近代化が要請する合理主義的運営と、それを担当する者の賛成とが否応なく近代的合理主義者を生み出す。これまたあたりまえのことなのであろうが、しかし彼らが前記の社会的機構を合理的に運営すればするほど社会は保守化するという矛盾を生ずる。

山本七平「『あたりまえ』の研究』


 山本七平ライブラリーの第一巻には、昨日の「『空気』の研究」とこの「『あたりまえ』の研究が併録されている。

 これは外国人に対して何気なく「日本には宗教法がない」といったところ、「では何をしてもいいのか」とあきれられた経験から、それぞれの人間が「あたりまえ」に思っていることについて語っていくもの。

 西欧では「宗教=規範」が「あたりまえ」になっているので、日本に宗教がないと聞くと、日本はアノミー(無規範)状態なのではないかと考えてしまったわけである。
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山本七平『「空気」の研究』
「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
(1983/01)
山本 七平

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 だがここでわれわれは、非常に複雑な相互関係に陥らざるを得ない。「空気」を排除するため、現実という名の「水」を差す。従ってこの現実である「水」は、その通常性として作用しつつ、今まで記した「一絶対者・オール3」的状態をいつしか現出してしまう。ちょうど「雨」にたたかれていると一切が腐食で崩れて平坦化していくよう情況である。ただ一つ残るのは、「絶対者=情況倫理をつくり出す起点」はゴム尺をとめる〝原点〟の固定点で、結局はこの固定点の「意志」だけが絶対視しされ、他は平等だから、意志決定は最終的には、この固定点にしかない。もっとも固定点は直接に命令を下す必要はなく、情況を創設すれば十分なのである。従って平等者はこの固定点に直接に判断を求めることは例外的にしかできない。そのためこの固定点をそれが創出する情況に応じて臨在感的に把握する以外に方法がなくなるいわば、「聖意を体して……」以外になくなるわけだが、そう把握すると、「空気」ができてしまうのである。従って「空気」を創出しているものも、結局は「水=通常性」なのであり、われわれは、この空気と水の相互呪縛性から脱出できないでおり、この呪縛の中には固定的規範は入り得ないわけである。

山本七平「『空気』の研究」より


 空気が読めないという意味で「KY」という言葉が流行したりと気になっていたので読んでみました。私が読んだのは図書館で借りたライブラリー版ですが、絶版のようなので文庫版にリンクしておきます。

 日本の近現代史、特に共産党史や執筆当時の事件などの知識が前提とされているため、その時期を経験していない私にはなかなか難解でしたが、とても興味深い本でした。

 この一連の論考は、「『空気』の研究」、「『水=通常性』の研究』、「日本的根本主義について」の三章から構成されています。

 以下かなり長いですが、章ごとのメモ。
[山本七平『「空気」の研究』]の続きを読む
小野善康『不況のメカニズム』
不況のメカニズム―ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ (中公新書)不況のメカニズム―ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ (中公新書)
(2007/04)
小野 善康

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 市場原理の誤解は、結果の平等では活力を失って効率が下がるから、機会の平等を推進すべきだという構造改革派の主張においても見られる。そこで言う機会の平等とは、競争に負ければ倒産して働く機会を失うという自体も含めて、言われている。しかし、本当に効率を追求するために機会平等を主張するなら、その前にまず働きたい者には働く場が必ず与えられる状況を作らねばならない。
 成功している個人や企業が、倒産や失業も含めた意味での機会平等を支持する本当の理由は、経済全体の効率化ではなく、単にそれが自分たちにとって都合がいいからである。ライバル企業が減れば、生き残った企業にとっては都合がよい。個人にとってもライバルが減れば、競争も軽減できるし職場も確保できる。彼らの言う効率化とは成功者だけにとっての効率化であり、日本経済全体の効率化ではない。そもそも働かない者を増やす政策によって、経済全体の効率化を実現できるはずがない。

小野善康『不況のメカニズム』


 本書はケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」を読み解きながら、不況のメカニズムの解明に取り組み、平成不況を考えていくもの。

 ケインズは需要不足が不況を起こすと考えた。しかし需要不足が存在するかの議論はまだ決着していない。著者はその原因を「一般理論」が難解でケインズの議論自体も混乱しているからであるとし、その問題点を克服しようと試みている。

 需要不足が不況を引き起こすというのは直感的にはわかるとはいえ、かなり専門的な経済学の本で、昔に経済学の入門書を少し読んだ程度の私には難解でした。
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須賀しのぶ『天翔けるバカ We Are The Champions』
天翔けるバカ―We Are The Champions (コバルト文庫)天翔けるバカ―We Are The Champions (コバルト文庫)
(2000/09)
須賀 しのぶ

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「引きずられるな、ハーレイ」
 ロードは強い口調で言った。
「あのマリアを倒したのが爆撃機ならば、おれたちはそいつを堕とせばいい」
「……堕とせばいい?」
「そうだ。すべきことは、それだけだ。シャロンは、戦争が終わったら会おうと言っただろう。戦争の間は余計なことを考えずに、それぞれの仕事を果たせばいい。それしか、できることはないんだ」

須賀しのぶ『天翔けるバカ We Are The Champions』


 昨日に続いて「天翔けるバカ」シリーズの二巻目で最終巻。前巻に続き主人公リックの所属する義勇軍を中心に第一次世界大戦の終戦までを描いている。

 これは完全に意表をつかれた。前巻ではリックが成長していく少年マンガ的なストーリーがはっきりしていたけれど、この巻では様々な人物の視点から、重層的に戦争を描いている。

 もちろんリックがエースを目指すという基本線はあるものの、より屈折したものになり、主人公たちの底抜けの明るさにも陰翳を帯びてくる。
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須賀しのぶ『天翔けるバカ flying fools』
天翔けるバカ flying fools  コバルト文庫天翔けるバカ flying fools コバルト文庫
(1999/12)
須賀 しのぶ

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(俺はエースになるために、ここに来たんだ……)
 それがたとえ、バカげていても。悪魔の称号だとしても。
 自分や、いま目の前にいるピロシキたちが敵のスコアのひとつとなるよりは、自分を狙う奴をスコアに変えたほうがいい。そしてこの基地で一番のエースになって、自分と同じ飛行機バカどもから、畏怖と憧憬をこめて「一度あいつと勝負をしてみたい」と言わせてやるのだ。
 ロードや、レッドバロンのように。
 ここは、愚かな夢を見た、罪深い騎士たちが集まるところ。
 来てしまった以上は、戦うしかないのだろう。炎にまかれながら天から墜落するその日まで、誰かを墜とし続けるしかないのだ。
「……なんか、バカみたいだなあ」
 リックは自重まじりに笑った。あまりにも不毛で泣けてくる。
「そりゃそうだ。バカじゃなきゃやってられるかよ。こんなこと」
 ピロシキの声に、パードレも深々と頷いた。

『天翔かけるバカ flying fools』


 ライトノベルのシリーズはかなり長くなったり、どの巻から読めばいいかわかったりすするので、私ようなライトな受容層にとっては敷居が高く感じられてしまうのですが、こういう一、二巻で完結する短いシリーズは嬉しいですね。

 この巻は連合国側に属する傭兵航空部隊(義勇軍)を舞台に、主人公リチャード・ハーレイ(通称リック)と部隊一の撃墜王(エース)リチャード・レイストン(通称ロード)のを主軸に、第一次世界大戦を描いている。

 主人公たちと戦うことになるドイツ側のエース・パイロットたちは実在する人物らしくで、レッド・バロンことマンフレート・リヒトホーヒェン、その弟ロタール、ナチスで活躍したゲーリングなどが登場する。
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本田透『喪男の哲学史』
喪男の哲学史 (現代新書ピース)喪男の哲学史 (現代新書ピース)
(2006/12/20)
本田 透

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 結局のところ、イエスの「神に萌えろ、隣人に萌えろ」というアガペー思想=博愛萌え思想は、ほとんどの人間には実践不能だったのです。イエスに萌えれば萌える程、イエスに萌えない異教徒を打ち倒したくなってしまう、という悪循環にハマったのです。イエスは「萌えによるルサンチマンの昇華」という道を指し示したのですが、その具体的な方法論を全人類に悟らせることはできなかったのです。
 組織化・個人のカリスマ化・体系化、これらはすべて、喪男哲学をまったく別のもの、つまり「体制」、言い換えれば「モテ」に変えてしまう原因なのです。しかも、体制としては「モテ」だけど、中身は「喪男」ですから、現実への復讐が始まるわけです。魔女を狩ったり、異教徒を攻撃したり、そこには「脳内で救われろ」という二元論哲学はかけらも残っていません。三次元を「神の国」に変えるためなら何をしてもいいのだ、という一元論の世界になってしまうのです。喪男宗教だったはずなのに、やっていることはモテと同じなのです! ああ! 結局、モテとか喪男とかいう立場は、相対的なものにすぎないのです。

本田透『喪男の哲学史』*1


 新年早々おもしくてしょうがない本に出会えた。

「喪男」とは2chの「モテない男板」に由来する言葉だと思うが、ここでは「モダン」と読ませていておもしろい。

『萌える男』という著作に対し、オタクの恋愛を語るのになぜ哲学が出てくるのかという批判を受けたという。そこで昔から多くの人が考えてきたことなのにそういった批判が出てくるのは、人類の精神史が軽視されているからではないかと考え、哲学史を書くことにしたらしい。

 本書では、「真の哲学はモテない苦悩」から始まるとし、なぜ自分はモテないのか、キモいのかといった理不尽な苦しみがどうして現実に生じるのかを考えていく営みだとしている。
[本田透『喪男の哲学史』]の続きを読む
米沢富美子『人物で語る物理入門 (下)』
人物で語る物理入門〈下〉 (岩波新書)人物で語る物理入門〈下〉 (岩波新書)
(2006/03)
米沢 富美子

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「マクロな物理現象の連続性とミクロ物理量の不連続性」、「波動-粒子の二重性」、「波動力学と行列力学」「ニュートン力学的な因果律と不確定性原理に基づく確率論」などを取り上げ、「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」を選ぶ必要がある、とボーアは言います。粒子に見えたり波動に見えたりするのは、どういう観測をするかによって決まるもので、それぞれにミクロな対象のひとつの側面を表していること、そして、これらの側面が相互に補い合って真の姿が明らかになります。この考えを、ボーアは「相補性原理」として主張しました。
 ボーアの相補性原理は、その場しのぎの折衷案では断じてなく、量子力学の根幹をなす革命的な折衷案なのでした。この「相補性原理」とハイゼンベルクの「不確定性原理」とによって、量子力学の数学的枠組みが完成します。古典物理学が厳密な因果律に基づいていたのに対して、「現在を正確に知ることは原理的に不可能」であり、したがって「未来は確率的にのみ予言できる」という結論が、この考え方から導かれます。

米沢富美子『人物で語る物理入門 (下)』


 上巻に続いて「人物で語る物理入門」の下巻。特殊相対性理論から重力の問題を修正した一般相対性理論からクォーク、複雑系に至るまでの物理学に関する話題を人物を通してまとめている。

 登場する人物たちが20世紀の人物たちになって、紹介されるエピソードも多く、より身近に感じられてくる。

 20世紀はめざましい科学進展の一方で、有名な物理学者たちが原爆の開発に携わったり、女性ということで評価されづらかったりと学者たちが社会の中で直面した問題が多く取り上げられていて考えさせられる。
[米沢富美子『人物で語る物理入門 (下)』]の続きを読む
米沢富美子『人物で語る物理入門 (上)』
人物で語る物理入門 (上) (岩波新書 新赤版 (980))人物で語る物理入門 (上) (岩波新書 新赤版 (980))
(2005/11)
米沢 富美子

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『プリンキピア』には、万有引力が「どのように」作用するのかは、書かれていますが、「なぜ」働くのかは述べられていません。実のところ、これこそがニュートンのスタンスだったのです。自然科学とは、実験や観察から原理を導きだすもので、万有引力の起源についてあれこれ憶測することではない、とニュートンは考えていました。これに関しては、「私は仮説を作らない」という有名な言葉が残っています。説明のつかない部分は、上の力に帰していた節もあります。

『人物で語る物理入門 (上)』


『ガリレオの指』が難解で、物理学の知識が不足してるなあと痛感したので手にとってみた。

「物理の楽しさを伝えたい」と語る著者ができるだけ多くの人に手にとってもらおうと、人物から物理学を語るもの。上巻ではギリシアの哲学者からアインシュタインの特殊相対性理論までの主要な人物が登場する。

 そのコンセプト通り、難しい議論にはあまり立ち入らずに、そのエッセンスを取り出している感じで読みやすい。

 そのためもっと詳しく知りたいと思って少し物足りなく感じる部分もあるが、巻末にそれぞれの章の文献案内があるので、他で補うべきなのだと思う。
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あけましておめでとうございます
 今年もひっそりと更新を続けていきたいと思います。よろしくお願いします。
 とりあえず今年は古文とかもう少し読んでみたいなと思います。
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