深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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篠原さなえ『「魅せる声」のつくり方』
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篠原 さなえ

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 具体的にいうと、おへそより「指1本か2本上」から「みぞおちの少し下」の中間点あたりです。もっと簡単にいうと、おへそのすぐ上にげんこつを一つ置いたあたりです(図2-6)。
 私はこのポイントを「笑うツボ」と命名しました。
 従来の「丹田」を意識した呼吸法は、横隔膜が下がった場所だけを意識していたわけですが、ふつうに考えれば「吸うときは下がりきった場所」を、「吐くときは上がりきった場所」を意識したほうがよいに決まっています。つまり、以下のように考えてください。
●腹式呼吸で空気をたくさん吸うには、横隔膜を下げればよい
 → 下がった方向にある「丹田」を意識
●腹式呼吸で息を吐くには、横隔膜を上げればよい
 → 上がった方向にある「笑うツボ」を意識

篠原さなえ『「魅せる声」のつくり方』


 ニコニコ動画ができてサブカルチャーに再び触れる機会が多くなったり、ラジオを定期的に録音して聴くようになったりして、人間の魅力のなかで声の占める割合はずっと大きいのではと思うようになった。

 落ち着いた声ではきはきとした語りであるだけで耳に残り、説得力があると感じるし、声だけで心の琴線を揺さぶられることもある。反対に興味深い話でももごもごとした語り方では頭に入ってこないこともある。

 そんなわけでたとえ専門にするわけではなくても、日常に役立つこともあるだろうと思い、ボイストレーニングには興味があった。しかし、一日にみっちりと時間をとるのは大変で、やはり三日坊主になりがちだった。
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石原千秋『教養としての大学受験国語』
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 そしてポイントの第五。出題者にとって意外に大切なのが、受験生の心に残る文章であること。入試問題は、合格した受験者だけではなく、不幸にも不合格者になった受験者にも真剣に読んでもらえる唯一の文章なのだ。だから、せめてこの大学の国語問題は面白かったとか洒落ていたとか思ってもらいたい。志と野心のある出題者は、そんな気持ちを持つものなのだ。そこで、学問の先端に少しでも触れている文章を選ぼうとすると、トレンドの書き手のものになるというわけだ。

石原千秋『教養としての大学受験国語』


 今思うと恥ずかしくてならないのだけれど、私は受験勉強が嫌いだった。数式を見ると頭がくらくらしたし、英単語をこつこつ覚えるなんてまっぴらごめんだった。

 かといって受験競争からドロップアウトする度胸もなく、何とない焦りにかられて大学受験の勉強を始めることにした高校時代。しかし嫌なことはしたくなかったから、必須ともいえる数学や英語はそこそこに、他人のあまりやらない世界史や国語、しかも現代文ばかり勉強していたのだった。

 その割りにセンター試験の国語の点数は散々だったが、それでも何とか大学にすべり込むことはできた。そのせいで数学と英語で後々苦労することになったけれど、悪いことばかりではなかったと思う。
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NHKラジオ「英語で読む村上春樹」
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NHK ラジオ 英語で読む村上春樹 2013年 05月号 [雑誌]NHK ラジオ 英語で読む村上春樹 2013年 05月号 [雑誌]


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沼野 『世界文学とは何か?』の著者であるデイヴィッド・ダムロッシュ、世界文学の定義を「翻訳によって何か新しい価値を得る作品」と言っています。つまり彼の言う世界文学と言うのは、もとの国から別の国へと旅することが前提なんですね。だから、例えば司馬遼太郎がいくらすごい作家でも、日本の国内でしか読まれないならば世界文学ではないということになります。
(中略)
 翻訳論というと、語学的なレベルでここが誤訳だとか、文法的に取り違えているといった話になりがちですけれど、実は文化の翻訳と言うのは正しいも間違っているもない。違う文脈に移したら同じ表現が違う意味を担うことがしばしばあるわけですから、その違いそのものを考えるのが面白いのではないかと思いますね。

『英語で読む村上春樹 5月号』


 ラジオといえば、この4月から始まった「英語で読む村上春樹」も聴き始めました。テキストを買ってラジオ講座を聴くというのも久しぶりのことです。

 この講座がスタートすると聞いたときは、何で村上春樹なんだろうと思いました。普通に英語圏の作家による作品を取り上げてくれればいいのに。もともと日本語の作品を英語で読まなくてもと。

 ところが講師がロシア文学の翻訳で知られる沼野充義さんだと知り、試しに聴いてみようかと思うようになりました。
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高島俊男『漢字と日本人』
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 言語学の教えをまつまでもなく、本来、ことばとは人が口に発し耳で聞くものである。すなわち、言語の実体は音声である。しかるに日本語においては、文字が言語の実体であり、耳がとらえた音声をいずれかの文字に結びつけないと意味が確定しない――コーコーという音は「高校」あるいは「孝行」という文字に結びつけてはじめて意味が確定する――のであるから、日本語は「顚倒した言語」であると言わねばならない。
 世界数千種の言語のなかで、日本語は比較的やさしい言語か、むずかしいほうか。また、ごくふつうの言語か特殊な言語か、ということがよく言われる。この「顚倒した言語」であるという点では、たしかに特殊な言語であろうと思う。
(中略)
 そして何より重要なことは、日本人がそのことをすこしも意識していない、ということだ。だから、明治以後の日本人の言語生活のなかで感じがどんなに重要な役割をはたしているかにも気づかない。政府や知識人がくりかえし漢字の削減、ないし全廃を主張してきたのもそのゆえである。いかに重要な役割をはたしているかに気づいていないから、「こんな時代おくれなものはなくしてしまいましょう」と気軽に言えるわけだ。

高島俊男『漢字と日本人』


『お言葉ですが…』シリーズで有名な高島俊男さんの本。何年か前に話題になった新書として覚えている。

 あとがきによれば、本書は「日本における漢字の問題を外国人向けに書いてください」という依頼を受けて書いた文章を新書の形に増補したもの。

 日本での漢字の受け入れの歴史をたどりながら、現代における日本語のありかたを考えていくもの。
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朱牟田夏雄『英文をいかに読むか』
英文をいかに読むか英文をいかに読むか
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 そこで私は、もう一つの内容的思想的方面の重要さを力説する必要を痛感するのである。英文であろうと日本文であろうと、いやしくも文章である以上は、そこには何らかの思想内容がふくまれている。それも He kiced at the dog. というような場合ならとにかく、多少とも抽象的なことを書いた文章などになると、その文章を書いた人は何か言いたいことがあってそれを書いたにちがいないのである。解釈とは要するにその「言いたいこと」、筆者が何を言おうとしているのかをつかむことである。上に言った機械的公式的知識は、そのばあいの道具にはなるけれども、やはりその道具をつかいこなす腕や頭がなかったら、道具だけそろっていても仕事はできるものではない。あるいは機械的公式的知識は基礎工事のようなものであって、基礎工事のしっかりしないところに上部建築をのせようとしてもうまく行かないと同時に、人間、基礎工事だけに寝泊りするわけにはゆかないことを思い出す必要があると思うのである。

朱牟田夏雄『英文をいかに読むか』


 軽い気持ちでベンジャミン・フランクリンの「自伝」に手を出したところ、思いの外難物で、かなり苦戦してしまいました。

 英語を独りで読むのには、やはりまだ力が足りないのではないかと疑問が湧いてきます。次の作品に挑む前に、また英文読解本を読みたくなりました。

 そこで朱牟田夏雄さんの有名なこの本が安く出ていたので読んでみることにしました。『英語のセンスを磨く』だと思いますが、行方昭夫さんが師と仰ぐ一人とした人であり、あの『トリストラム・シャンディ』の訳者としても有名でしょう。
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