深海魚の水槽
読んだ本のメモなどを残していく予定です。
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W. H. マクニール『世界史』
世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)
(2008/01)
ウィリアム・H. マクニール

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世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)
(2008/01)
ウィリアム・H. マクニール

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 このようにして、宗教が一地域のものでなくなった。ユダヤ人たちは、外見上はまわりの民族とほとんど同じようにふるまい、さまざまな言語を話し、衣装や行為の点でも一律でなかったが、それでいてヤハウェには忠実でありつづけた。要するに、宗教が、人間文化の他の側面から切りはなされたのである。イェルサレムの神殿での豪華な礼拝式に執着したり、信者に対して同一地区に住んでほぼ統一的な習慣に従うよう強制するのではなくユダヤ人の信仰は、少数の信者が集まって聖書を研究し思索する場所でなら、どこでも栄えることができるようになったのである。

W. H. マクニール『世界史』


 どうも最近世界史の知識が抜け落ちていっている気がして、もう少し私も歴史に学ぼうかと思っていた。

 中公文庫の「世界の歴史」シリーズを読んでみようかと思っていたこともあったけれど挫折しそうなので、そこそこ短くて読みやすいものを探した。

 そこで見つけたのが本書。アメリカでは30年以上版を重ねている、定評のある世界史教材だという。
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阿川尚之『憲法で読むアメリカ史』
憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)
(2004/09/16)
阿川 尚之

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憲法で読むアメリカ史 下 PHP新書 (319)憲法で読むアメリカ史 下 PHP新書 (319)
(2004/10)
阿川 尚之

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 それでもなお、連邦政府、特に大統領の権限拡大によって、憲法上戦争開始後のアメリカ合衆国は戦前とはまったく違う国となる。戦前唱えられ広く信じられた、合衆国は主権を有する州の自由な連合であり連邦政府は弱い存在であるという理論と現実は、リンカーン大統領の戦争政策遂行によって完全に打ち破られた。そして北部の勝利が目前に迫ると、連邦が主権をもつ独立の存在であり連邦からの離脱が不可能であることを疑う人は、もはやいなかった。ここに初めて、アメリカ合衆国は一つの国家になったとさえ言えよう。

阿川尚之『憲法で読むアメリカ史 上巻』


 これはタイトルが秀逸。ブックオフで上巻を見つけて、そのまま下巻にも手が伸びてしまった。

 本書は駐米公使としてアメリカで活躍している著者が、合衆国憲法の変遷をたどりながら、アメリカの来歴を描いたもの。

 上巻では州の強くばらばらだったアメリカが南北戦争を通じて一つの国家としてまとまっていくまでを描いている。

 下巻では、奴隷解放後の人種差別の問題やデュー・プロセス条項を通してより現代的な人権・経済問題に対応していく過程が描かれる。
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山本七平『日本人とは何か』
日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (NON SELECT)日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (NON SELECT)
(2006/07)
山本 七平

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 簡単にいえばハビヤンに見られるように、以後の日本人も、諸宗教・諸思想の中から合理的と思われるものは採用し、不合理と感じたものは捨ててしまった。この点で、朱子学が正統派のようにいわれた徳川時代でも、日本は決して韓国のように朱子学一辺倒ではなかった。ちょうどハビヤンが神儒仏キリシタンを並べて「どれを選択すべきか」と言うのが伝統になった。明治とて現代とて、実はこの伝統の延長線上にあるのであって、それからはずれているわけではない。ただ両方から自由自在に取り入れるということは両方から異端視されるという結果にもある。
(中略)
 日本は朱子学的東アジアの異端であり、同時に西欧キリスト教文化の異端であった。それが日本を発展させたが、同時に「異端の罪は異教の罪より重い」という宿命を負わざるを得なかった。それを最も強く感じていたのが「江湖の野子」不干斎ハビヤンであったろう。彼の長い沈黙の如く、日本は沈黙しつつ発展せざるを得なかったのである。

山本七平『日本人とは何か』


 本書は外国人に日本について疑問に思っても、日本人が答えに詰まってしまうような、しかしグローバル化する世界の中で答えられなければならない「日本人とは何か」という知識を提供しようとするもの。

 副題にもあるとおり古事記や日本書紀といった神話から明治維新にいたるまでの日本史を振り返っていく。ページ数も800を超えるボリューム。

 そこで著者は陸奥宗光の父親である紀州藩士伊達千広の「大勢三転考」を参照し、日本を三つの時代区分に分ける。いわゆる氏姓制度がしかれていた「骨(かばね)の代」、科挙抜きの律令制度を取り入れた「職(つかさ)の代」、そして武家が政治の実験を握った「名の代」である。

 著者が「大勢三転考」を取り上げるのは、明治維新に直面した伊達千広が、日本人とは何かという問いを立て、色眼鏡を通してではなく純粋な好奇心から日本の歴史を直視したからだという。
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山本七平『洪思翊中将の処刑』
洪思翊中将の処刑〈上〉 (ちくま文庫)洪思翊中将の処刑〈上〉 (ちくま文庫)
(2006/10)
山本 七平

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洪恩翊中将の処刑〈下〉 (ちくま文庫)洪恩翊中将の処刑〈下〉 (ちくま文庫)
(2006/10)
山本 七平

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 誤解を生ずる言い方だが、洪中将は生涯、一種の仮面をつけていたと言える。もちろん仮面の内側はその人の本当の顔に密着していなければ真の仮面ではない。たとえば、あのアルジェリア戦争のとき、敬虔なカトリック教徒であり同時に悪名高い降下部隊の体長であったマッシュ将軍、あのドゴールかつぎ出しのアルジェリア右翼の主役がその本心をあかした相手は、彼の懺悔を聞いた司祭だけであっただろうと言われている。事実、彼は仮面をはずすことができない。もしその本心をあかせば、コロンが蜂起して現地人と衝突し、いかなる動乱が起り、どのような流血の第三次が起るかもしれぬ。同時に外人部隊をはじめとする諸部隊は、一斉に離反してその側につき、手のつけられぬ状態を現出するかもしれぬ。従って彼は最強硬派の仮面をかぶり、悪名高い弾圧を行い、それで現地フランス人の信望を得つつ、一方では極秘裏に平和的収拾を計り、内心ではこれ以外に方法がないと信じている。だが仮面は絶対にはずせず、そのため世界中の批判を一身にあびても平然とこれに耐えねばならない。そしてもしその仮面が断罪されるなら、それがいかなる断罪であれ、仮面をあくまでも自分の真の顔として、黙って断罪されねばならない。そのとき言いわけはあり得ない。その仮面もまた仮面として行動した責任があり、「あれは仮面で自分の本心はこうでした」という釈明では免責にはなり得ない。だがこのことの意味をわれわれ日本人は本当に理解しているのであろうか。――人間が責任を負うのは仮面に対してであるということを。

山本七平『洪思翊中将の処刑』


 wikipedia の山本七平の項によると、「現人神の創作者たち」と並んで著者が最も力を入れた作品とされている。

 本書は朝鮮人でありながら陸軍士官学校を経て帝国陸軍で中将にまでなり、フィリピンの捕虜収容所の所長に赴任し、戦後まもなく捕虜虐待の責任者として処刑された洪思翊の生涯を描いたもの。

 私のような人間にとっては帝国陸軍に朝鮮人の中将がいたこと自体が驚きで、そこに何か不正があったのでは勘繰ってしまう。

 しかし洪中将は創氏改名を最後まで拒み、祖国の独立運動を行う人間たちの援助まで行っていたという。そして中将と接した人でその人格を称えない人はいないという。

 そんな中将が戦犯裁判では沈黙を貫き通し、甘んじて責めを受け容れていったのか、その謎に迫っていく。
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ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』
銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
(2000/09)
ジャレド ダイアモンド

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銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
(2000/09)
ジャレド ダイアモンド

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 ニューギニアとメソポタミアの肥沃三日月地帯からはいろいろと教えられることが多い。まず、ニューギニアの狩猟採集民は、肥沃三日月地帯の狩猟採集民と同じように、自分たち独自の方法で自発的に食料生産をはじめていた。しかしニューギニアの農業は、栽培化可能な穀類やマメ類、家畜化可能な動物が野生種として生息していなかったために、高地に居住していた人びとをタンパク質不足におとしいれてしまった。栽培化可能であった根菜類が高地では充分に成長しない品種であったことも、ニューギニアの農業の足かせとなった。とはいえ、ニューギニア人が自分たちの生活環境に分布している動植物について無知だったわけではない。彼らは、今日地球上で暮らすどの民族にも負けないくらい、自分たちが入手可能な野生動植物について充分な知識を持ち合わせていた。その点を考慮すると、ニューギニア人は、栽培化に値する野生植物はひとつ残らず見つけて、試せるものは試したと推測できる。サツマイモが伝わったときにニューギニア人がどうしたかを見れば、新種の作物を自分たちのものにする能力が彼らにあったことは明らかである。今日のニューギニアにおいても、新しく伝わった農作物や家畜を真っ先に手に入れられる部族や、そうしたものを取り入れようとする意欲のある部族の人びとが、新種の作物の受け容れに意欲的な文化的土壌のなかで、そうする意欲のない部族や新しい作物を入手できない部族を犠牲にしながら、自分たちの農耕エリアを拡大している。つまり、ニューギニアの人びとが独自に誕生させた食料生産システムの展開が制約された原因は、この地域の人びとの特性にあったわけではなく、この地域の生物相や環境要因にあったのである。

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄 上巻』


 進化について調べていたときに著者の名前を知って、ピューリッツァー賞受賞ということもあり読んでみたいと思っていた一冊。

 本書は進化生物学の専門家である著者があるニューギニア人の発した「なぜ私たちは何ももたないのか」という問いに答えようとしたもの。

 その問いは富や権力の偏在がなぜ存在するのか、より端的にはある集団だけがタイトルにもなっている「銃・病原菌・鉄」を持ち、他集団を席巻することができたのかと言い換えられる。

 著者がこの人類史の難題に挑むのは、この差異はある人種が生物学的に優れているから生じたという説明がついてまわるからだ。そして人種差別を正当化するような発言を招いている、そういった問題意識がある。
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